理想のタッチ

日曜はピアノ趣味の知人らと誘い合わせて、とある個人ホールのピアノを弾きに行ってきました。

ここにはベヒシュタインのグランド(M/P 192cm)があります。
M/Pは、現代のやや複雑なベヒシュタインのモデル構成の中でも、このメーカーの正当な系譜を引き継ぐ、真性ベヒシュタイン・ラインナップの一台です。

同時に、ベヒシュタインの中でも新しい世代に属し、それに伴って現代的なアーキテクチュアをもつモデルで、伝統のむき出しのピン板はフレームに隠され、華やかな倍音を得るため駒とヒッチピンの間にはデュープレックス・システムまで与えられた、いうなればスタインウェイ流儀に刷新された新世代のベヒシュタインです。

新しいベヒシュタインというのはそうそう触れるチャンスがないために、詳細な比較はできませんが、時代の好みと要求にも応えるピアノになっていながら、根底にはベヒシュタインらしいトーンが残されていて、現役のピアノとしてこのブランドが存続していくには、こういうふうになるんだろうなあという予想通りのピアノだと思いました。

これより前の世代のベヒシュタイングランドは(戦前の旧い世代は別として)、どうかすると素晴らしい同社のアップライトにやや水をあけられた観があったのも事実なので、マロニエ君としてはいちおうは正常進化したと解釈できます。しかし、伝統的なベヒシュタインのファンの中には、こうした方向転換へ大いに異論を感じる向きも多いことだろうと思います。

さて、音はもちろんそれなりに美しいものでしたが、調整の乱れもあって、とりたてて印象に残るほどのものでもないというのが偽らざるところでした。このピアノのサイズとブランドを考えれば、あれぐらいの音がするのは当然だろうという範囲に留まりました。

それとは対照的に、この日の印象としてたったひとつ、しかも強烈に残ったものは、その素晴らしいタッチ感でした。

このタッチにこそ深い感銘を受け、マロニエ君としては、これぞ理想のタッチだと唸りました。
軽やかなのに、しっとりとした感触が決して失われず、なめらかでコントローラブル。強弱緩急が思いのままのタッチとは、まさにこういうフィールのことをいうのでしょう。

通常、軽いタッチになると、どうしても単なるイージー指向な軽さで安っぽくなり、弾き心地も音も浅薄になってしまう危険があります。つまり弾いていて喜びを感じない、ペラペラな深みのないピアノへと堕落してしまいます。そればかりか、軽さが災いして逆にコントロールの難しさが出てくることも少なくありません。

コントロール性を確保するには、軽さの中にも密度感のあるしっとりした動きと、弾き手のタッチの変化やイメージにきちっと寄り添うように追従してくる「必要な抵抗」がなくてはなりません。
がさつな鍵盤/アクションをただ軽くしても、それはただ電子ピアノのようなタッチになるだけで、ピアノを弾く本当の手応えと快感は得られません。

そういう意味ではこのベヒシュタインはまさに第一級のピアノであり、極上のフィールをもっていることにかなり驚かされました。
まるでキーの奥では美しい筋肉が動いているみたいで、その意味では、スタインウェイもタッチにはどこか妥協的な部分があり、このような高みには達していないと思います。

タッチ以外にも、ふたの開閉や突き上げ棒の動きのひとつひとつにしっとりした好ましい手応えがあり、これはドイツの高級車の操作感にも通じるものがあります。

今後、マロニエ君がタッチというものを感じる際・考える際に、このベヒシュタインのタッチは折に触れて思い起こされ、ひとつの基準・ひとつの尺度になる気がします。

そういうものに触れられたという一点でも、遠路はるばる行った甲斐がありました。