まるでスポーツ

最近は、何かというと全曲演奏会の類が大流行のようで、音楽や演奏の妙を味わうというより、演奏家の技量と記憶力を誇示するための耐久レース的な趣になり、こういう流れは個人的にあまり歓迎していません。

誤解なきように云っておきたいのは、しっかりと準備され、長期間をかけて行われる全曲演奏は壮大な目的をもったプロジェクトであり、その意義深さは理解できるのですが、ここで云いたいのは一夜で何々の全曲とか、あるいは数日間で怒濤のごとく行われる、これでもかという不可能への挑戦状を叩きつけるような演奏会のことです。

日本人の演奏家もこの手の体力自慢的コンサートに挑戦する人が後を絶たず、まるで、それができないようでは一流演奏家ではないといわんばかりの空気が漂っているのでしょうか。本人が話題作りをしたいのか、嫌でもやらなくちゃいけないご時世なのか、主催者が苛酷な要求をしているのか、そうでもしないとお客さんが来ないのか…。
真相は知りませんが、ずいぶんおかしなことになってきたなあ…というのが率直なところです。

演奏家もこういうことで能力自慢して、売名に役立てているのでしょう。

ステージ演奏家にある種のタフネスが必要なことは当然としても、そればかりがあまりに前面に出て、コンサートが記録挑戦を観戦するイベントのような要素を帯びてしまっています。演奏する側はもちろん、聴衆にとっても、まるで忍耐と達成感など、いわゆる音楽を聴く喜びとは似て非なるものに支配されていやしないかと思われます。

クラシックの作品を弾き、コンサートという体裁をとってはいても、きわめてスポーツ的な価値観と体質を感じるし、どこか自虐的であるところにも強い違和感を感じます。
演奏者も優れた音楽家であることより、一挙に名が売れ英雄になることを目指しているのかもしれません。芸能人は紅白歌合戦に出ることで、その後の1年の仕事に大きく反映するのだそうですが、クラシックの演奏家もこういう挑戦モノを通過した人のほうが、それ以降のチケットの売れ行きが変わるのだろうか…などと勘ぐりたくもなります。

いずれにしろ、なにかが歪んでいるという印象をマロニエ君は拭えません。

マロニエ君は、よほど心地よい演奏でもない限り、通常のコンサートで2時間前後、ホールの椅子に縛り付けられるのは、率直にいってかなり疲れてしまいます。単純なはなし、2時間身じろぎもせず、身動きや咳ひとつにも配慮しながら、強い照明のステージ上の演奏に集中するということはかなりハードです。

実演というものは、建前で云われるほど良いことばかりではありません。演奏者の技量や解釈などの音楽的なことはもちろん、あまり真剣でなかったり、ツアーの中のひとつとしか考えていない、聴衆をナメている、さほど練習を積まないままステージで弾いている、義務的になっている等々で、こういうことが透けて見えるような瞬間が決して少なくなく、そういうものを感じると、たちまち興味を失い苦痛が始まります。

いったんそれを感じ始めると、コンサートほど息苦しいものはありません。終わったら会場を飛び出して外の空気に触れ、その苦行から解放されることになりますが、最近は歳のせいか疲れが本当に回復するのは翌日へ跨ぎます。
通常のコンサートでさえこんな現状が多いのにもってきて、規模ばかり広げた弾けよがしの全曲演奏などされても、どこに喜びを見出していいのやらさっぱりわかりません。

演奏家にとっても、体力や暗譜など、この挑戦をともかく無事に達成することに目標は絞られ、演奏の質は二の次になることは致し方ないでしょう。
聴く側も「全曲を聴いた」ということに、箱買いでもして得をしたようなような気分になるのかもしれませんが、洗剤ではあるまいし、マロニエ君は音楽でそれは御免被りたいところです。