ティル・フェルナー

ことしの2月、サントリーホールで行われたN響定期公演から、ネヴィル・マリナー指揮のモーツァルト・プロによる演奏会の模様が放送されました。

前後の交響曲の間に、ピアノ協奏曲第22番KV482が挟まれました。
ピアノはウィーンの新鋭(中堅?)、ティル・フェルナー。

この曲はマロニエ君がモーツァルトのピアノ協奏曲の中でもとくに好きな作品のひとつで、この時期はフィガロの作曲もしていたためか、どこかオペラ的でもあり、フィガロの折々の場面を連想させるような部分も個人的にはあると感じています。

ネヴィル・マリナーの指揮は、とくに深いものを感じさせるのではないけれども、音楽がいつも機嫌よく、流れるような美しさに彩られています。
なにかというと演奏様式だの解釈だのということが前に出てくる最近では、単純にこういう心地よい素直な演奏というのもたまにはいいなあと思いますし、理屈抜きにホッとさせられるものがあります。

そんなオーケストラと共演したティル・フェルナーですが、その見事な演奏には久しぶりに満足を覚えました。
気品があって、折り目正しく、それでいてちっとも教科書的な演奏ではない新鮮さに満ちていました。最近はただ弾くだけではダメだからといわんばかりに、なにやら無理に個性的な演奏や解釈を提示して、聴く者の印象に食い込もうとする人が少なくありませんが、フェルナーの演奏はまったくそういった邪念がなく、ひたすらモーツァルトの世界に敬意を表しながら自らの重要な役割を見事に果たしたという印象でした。

モーツァルト独特な、和声進行ひとつ、スケールひとつ、あるいはたった一音で、音楽の表情や方向がガラリと変わるような、単純なようで実は重要なポイントも、ごく自然で丁寧に表現してくれるので、なんの違和感もなしにモーツァルトの音楽に身を委ねることができました。

音の粒立ちもよく、ひとつひとつの音符が明瞭ながら、全体の流れもきちんと保持されている。よくよく検討され準備されていながら、あくまで自然で軽やかに聞こえなくてはならないという、このバランスこそモーツァルトの難しさのひとつとも云えるでしょう。
それを見事に両立させたフェルナーのピアノは稀有な存在だと思います。

アンコールでは一転してリストの巡礼の年から一曲を披露しましたが、こちらも非常に節度のある、美しい演奏でした。フェルナーについてはあれこれと聴いた経験はないし、おそらく何でも来い!というタイプではないと思いますが、まことに好感の持てる、素晴らしいピアニストであり音楽家だと深く感銘を受けました。
まだこういうピアニストが存在するというのは嬉しいことです。

ピアノはスタインウェイで、今やウィーンのピアニストが来日してモーツァルトを弾くというのに、それでもベーゼンドルファーのお呼びはかからないのかと思うと、これも時代かと考えさせられました。

そのスタインウェイは、まさにこの一曲のために調整されたといわんばかりのソフトに徹した音造りのされたもので、ときにちょっとやり過ぎでは?と思えるほどのほんわかしたピアノでした。
深読みすれば、サントリーホールも新しいスタインウェイが納入されているようなので、第一線を退いたピアノには調整の自由度がぐっと広がったということかも…と思ってしまいました。