過熱するコラボ

BSプレミアムシアターで、今年4月ジャズピアニストの小曽根真氏が、ニューヨークのエイブリーフィッシャーホールのコンサートに出演し、ラプソディ・イン・ブルーを弾く様子を見ました。

エイブリーフィッシャーホールはニューヨークフィルの本拠地で、当然オーケストラはニューヨークフィル、指揮はアラン・ギルバート。当然といえば、ピアノも当然のようにヤマハでした。

マロニエ君は小曽根氏のジャズに於ける実力がどれ程のものか、わかりませんし、知りません。
ただ、数年前モーツァルトのジュノーム(ピアノ協奏曲第9番)ではじめてこの人のクラシックの演奏を聴き、折ある事にクラシックにも手をつけているのはよく知られているとおりです。
その後はショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番、そして今回のガーシュウィンを聴くことになりましたし、ネットの情報では、ドイツではラフマニノフのパガニーニ狂詩曲まで弾いたとか。

最初のモーツァルトのジュノームでは、珍しさもあってそれなりに面白く聴くことができましたが、ショスタコーヴィチではピアノがあれほど華々しく活躍する曲であるのに、いやに引っ込み思案な演奏だった印象があります。
そして、今回のガーシュウィンではさらに慎重な、失言のないコメントみたいな演奏で、とてもジャズピアニストのノリの良いテンションで引っぱっていくというような気配は見られませんでした。
なにより演奏者がいま目の前で音楽を楽しんでいるという様子がなく、ひたすら安全運転に徹していたのはがっかりです。

それなのに、ときどき指揮者と満面の笑みでアイコンタクトをとったりするのが、なんだかとてもわざとらしく見えてしまいました。

こういう畑違いのピアニストが登場する以上は、少しぐらいルールからはみ出してもいいから、クラシックの演奏家にはないビート感とかパッションを期待しがちですが、ものの見事に当てが外れました。果たしてニューヨークの聴衆の本音はどうなのかと思います。

曲のあちらこちらには小曽根氏の即興演奏のようなものがカデンツァとして盛り込まれていましたが、前後の脈絡がなく、それなのに、すべては「台本」に入っていることのように感じます。しかもそれが何カ所にもあって、冗長で、ラプソディ・イン・ブルーとはかけ離れた時間になってしまったようで疑問でした。

ジャズピアニストの中にも本当に上手い人がいるのは事実で、小曽根氏の憧れとも聞くオスカー・ピーターソンなどは、それこそ信じられないような圧倒的な指さばきと安定感で、それが天性の音楽性と結びつくものだから聴く者を一気に音楽の世界に連れ去ってしまいます。
キース・ジャレットのバッハにも驚嘆したし、チック・コリアの演奏にも舌を巻きました。

せめてそういうジャズの魅力の香りぐらいはあってもいいのではないかと思うところですが、小曽根氏のピアノは、少なくともクラシックを弾く限りに於いてはむしろ活気がなく、個人的には退屈してしまいます。

それをまた「絶賛の嵐」というような最上級の賛辞で褒めまくりにされるのが今風です。
当節はその道のスペシャリストが高度な仕事をしても正統な評価はされず、人も集まらないので、主催者も話題性という観点からコラボなどに頼っているということなのか…。

ただアンコールになると、人を楽しませる術を知っている人だということはわかりますし、本人も俄然本領発揮という趣でした。そういう意味ではなるほどエンターテイナーなのかもしれませんが、クラシックは伝統的に演奏そのものが勝負という一面がどうしてもあるので、その点ではいかにも苦しげに見えてしまいます。

コンサートって、やはりいろんな意味で難しいもののようですね。