気に入っていた飲食店などで味が落ちるといった変化があると、心底がっかりするものです。
とくに長年親しんだお店で、質やサービスになにかしらの変化がおきると、それによる落胆と幻滅は、おそらくは店側が予想しているより遥かに大きなものとなります。
変化といっても、良いほうに変化することはそうはないわけで、大半は「低下」の方向を辿ることが通例です。それがわずかの違いであっても、お客側にとっては大問題となることに経営者は意外に鈍感で、むしろ僅かな差なら気がつかないだろうぐらいに高をくくっていたりします。
もうバレバレなのに、バレていないと思い込んでいる愚かしさは他人事ながら哀れです。
たとえば、マロニエ君が贔屓にしていたあるケーキ店があります。
ここは価格も法外ではないけれど、それなりに安くもない店です。それでも、たまに美味しいケーキを食べたいと思ったときは、その美味しさを優先してときどき買っていました。
ところが、ある時期から、すぐには気がつかないぐらいの微妙な変化が起こりました。ほんのわずかにサイズは小ぶりになり、味も表向きは変わっていないことを装っていますが、明らかに以前のような熱意やこだわりが感じられなくなりました。
あとから知ったことですが、このころデパ地下にも進出したようでした。
そこそこお客がついてくると、人はつい油断するものなのか、その味や営業姿勢に慢心の影が差し込んでくるのはがっかりします。ひとつ成功するとたちまち次の欲が出て、事業拡大やさらなる利益のことばかり考えているとしたら、もうそれだけで気持ちは冷めてしまいます。
そもそも美味しさとか魅力なんてものは、楽器のいい音と同じで、決して雲泥の差ではありません。「普通」との差はたかだか薄紙一枚の違いであったりするもので、つまりは、そのわずかのところに人は期待と価値を置いているものです。
レストランなども、店側の都合で料理人が変わったり、事実上の値上げなどで、質や量にわずかな変化が現れることがありますが、お客というのは、だから決してその「わずか」を見逃しません。
そもそもある店を贔屓にしているのも、いろいろな要素のトータルのところで「たまたま」そうなっているだけで、ある意味、ひじょうに微妙で危ういバランスの上に立っているにすぎません。よって少しでもそのバランスが崩れると、忽ちそこでなくてはならない理由が失われます。
つまりささいな変化は深刻で、いったんその変化や翳りを嗅ぎ取ると、まるで魔法がとけたようにその店に対する好感度が失われてしまいます。
これは飲食店以外にも言えることで、少しでも下降線を感じてしまうと、それが嫌でいっそ別のものへ流れます。少なくとも質の落ちた対価しか得られないとわかってしまうと、もう継続する気にはなれないのがお客の気分ではないかと思います。
「一度でも不味いものを食わせると、二度とその客は来ない」と云われるように、マロニエ君もずっとご贔屓にしていても、一度とは云いませんが、二度味が変わればやはりもう行く気になれません。
もちろんお店側にしても、そこにはいろいろな事情もあることでしょう。商売をする以上、利潤追求を否定することはできませんが、そういうとき、ある種の「勘違い」や「雑な判断」「見落とし」をしてしまっているように感じます。
馴染みのお客さんを維持していくことは、ある意味では新規の客を獲得するより、もっと難しいことなのかもしれません。