オクタヴィア・レコードからリリースされているセルゲイ・エデルマンの演奏がすこぶる高評価のようで、そんなにいいのならちょっと聴いてみようと購入しました。
曲目はショパンのバラード全曲、舟歌、幻想曲、幻想ポロネーズという重量級の主要作品ばかりをドーダ!といわんばかりに並べたもの。
バラードの1番からして、いやにものものしい入りで、ひとつの予感がかすめます。
いわゆる既存のショパン観に一切とらわれることなく、「純粋に楽譜に記された音符を音楽として起こしたらこうなる」という主張を込めたような演奏で、現代のショパンによくあるパターンだと思いました。
ショパンを少女趣味のメランコリックな音楽のように捉える愚かの向こうを張って、詩情を排し、むやみに構造的で、劇的で、マッチョに仕上げられたショパンというのも、所詮は少女趣味の対極に視点を移したというだけで、その履き違えという点では五十歩百歩だと思います。
糖尿病の食事療法ではあるまいし、ショパンの作品から「甘さ」を徹底除去して、内装材を剥ぎ取って、構造物の骨組みばかりを見せるような演奏がこの偉大な作曲家の真髄に迫ることができるというのなら、いささか短慮ではないかと思います。
打鍵もむやみに強すぎるし、語り口にもくどさがあり、まるで大仰な芝居の台詞まわしのように聞こえてしまいます。ショパンがこういう演奏を歓迎するとはとても思えません。
すっかり忘れていましたが、そういえばずいぶん昔、東京でエデルマンのリサイタルに行ったことがありました。長身で、まるでスローモーションを見ているような一風変わったステージマナーであったことが印象にあるのみで、何を弾いたかまるで覚えていません。
オクタヴィア・レコードは、その音質のクオリティが高く、オーディオマニアの間ではたいそう有名なんだそうですが、マロニエ君はそっちの方面はてんで不案内で、もうひとつその真髄がよくわかりません。
たしかに素晴らしいと感じる、充実した音質を楽しめるCDがある一方で、えっ?というような、とても高音質がウリのCDとは思えないようなものもあって、いうなればむらがあり、一貫した方向性が定まっているところまでは行っていない印象です。
今回のCDは、録音はすごいとは思うものの、いかんせんピアノが近すぎて生々しく、さらに強打の連続とあっては、かなり耳が疲れるアルバムだったと感じました。ところが、伊熊よし子氏の解説には「ショパンコンクールでは若手ピアニストは攻撃的な演奏する」「戦闘的な演奏は耳を疲れさせる」ということを引き合いに出し、それと対比させるように、このCDの演奏を「耳が疲れず、心が浄化される」とあったのにはエエー!と驚くばかりでした。
それでもピアノは少し前のコクのある音をもった好ましいスタインウェイで、ここはせめて楽しめたところでしょうか。
とはいえ、演奏と録音が生々しいぶん、まるでハイビジョンで人の顔の皮膚を見るようで、ピアノがいささか迷惑がっているようにも聞こえます。もう少し詩的な演奏と広がりのある録音であってほしかったけれど、どうもエデルマンはピアノの音の最も美しいところを察知しながら弾くことはなく、あくまでも自身の気迫と打鍵だけで構わず押してくるので、ピアノにストレスがかかり、しばしば音がつぶれ気味になるのは残念でもあり、マロニエ君には「耳が疲れ、心が圧迫される」演奏でした。
でも、矛盾するようですが、久しぶりにいい楽器だなぁという印象が残りました。