コスト戦争

ピアノ選びや優劣論で話題となるのが、品質に関するものではないかと思います。

音色の好みを別とするなら、ピアノの品質とは何が違うかといえば、優れた設計、使用される材料の質、そして製造・仕上げの手間暇につきるのではないかと思います。

極めて夢を削ぐ話ではありますが、ピアノという楽器は、非常に多くの制約と妥協の中で産声を上げている製品ということは間違いありません。それは主に需要とコストという実利的な問題に縛られ、それらは絶え間なくピアノ生産の在り方と方向性に重くのしかかる最重要課題だからです。

多少なりとも最高級品に許されるのは、まずはコストの余裕でしょうが、それとても「金に糸目はつけない」というようなものとは程遠い、常に厳しい制約がかかっている枠内での相対的な話です。

さらに制約のレベルが一気に引き上げられるのが量産ピアノです。
どれほど有名メーカーの高品質な製品とは云っても、それは表向きのこと。根底にある製造上の思想は、「いかに徹底して安く作るか」というひと言につきるのだと思います。
言い換えれば、ブランド力を損なわないギリギリのラインで、どこまで品質を落とすことができるか、その限界点を探ることが量産ピアノ製造の最大の使命であり、そのためのあらゆる試行錯誤がおこなわれていると云っても過言ではないでしょう。

日本の大手メーカーは、とりわけ優良な量産ピアノ作りの面では、世界的にも先駆者の部類であることは自他共に認めるところです。その技術力は大変なもので、現在ではありとあらゆるノウハウを知悉しているはずです。

「ブランド力を損なわずどこまで品質を落とすことができるか」という、高度な課題に日々取り組んでいるということは、逆に云えば、良いピアノはどうやったらできるかと云うことも、彼らは百も承知のはずです。

真に芸術的なピアノということになれば容易なことではないにしても、普及品のピアノをそこそこランクアップさせる程度ならわけもないことです。
すべてが必要最低限の品質で作られているとすれば、そこにわずかでも付加価値を作り出すのは造作もないことでしょう。

好ましい材料をふんだんに使って、手間暇を惜しまず、細心の注意を払って組み立て、いかようにも時間をかけて調整すれば、設計に欠陥でもない限り、それなりのピアノには間違いなく仕上がる筈です。

とりわけ、理想的な響板と旧来の工法によるフレームなどは今日のピアノの多くが手放してしまったものでしょうし、木材やハンマーのフェルトなどもしかりで、かなりの部分は解明できていても、それが実践で使えないだけという状態だろうと思います。

彼らの叡智は利益率の良い、優秀な商品を作ることへ多くのエネルギーが注ぎ込まれているというのが現実ですが、これはピアノに限らず、工業製品というものには、コストに対する非道なまでの要求がついてまわり、現場と営業サイドとの確執は、常に後者が勝利であるようです。

イタリアのFなどがこれほど躍進できているのも、現代は真の意味での高級ピアノ不在の時代環境だからこそ、そこにあえて手間暇のかかる正攻法を貫いてみせた鮮烈さの結果だとも感じてしまいます。