乱乱

クラシック不況というのをやたら耳にする昨今ですが、そんな実情を表しているように感じるのが、西洋音楽の本拠地であるウィーンやパリで近年催される一見派手な野外コンサートです。

ベルリンフィルなどは以前からやってはいましたし、イタリアでもヴェローナの野外オペラなどがありますが、ここ最近の新しい野外コンサートは、どうも趣が少々違っているように感じられて仕方がありません。

先日もエッシェンバッハ指揮のウィーンフィルで、『シェーンブルン夏の夜のコンサート2014』というのをやっていましたが、こう言っては何ですが、派手さだけが売り物の大イベントというだけで、およそ良質の音楽を聴くためのコンサートとは思えません。

あのシェーンブルン宮殿を上品とは言いかねるライティングで染め上げ、オーケストラの入る透明屋根の小屋とその周辺の作りは、ほとんど安っぽいサーカスのようで、ウィーンの至宝であるウィーンフィルがこんなことをやらざるをえない状況というのが、なにより現在のクラシック音楽の置かれた状況を物語っているようです。

プログラムの中ほどにリヒャルト・シュトラウスのブルレスケがあって、ピアノは〝またしても〟ラン・ランでした。
オーケストラも指揮者も、そしてピアニストも、だれも本気で演奏している気配はなく、この異色の作品が、お気楽で平面的な音の羅列に終わっていることに驚かされます。
この難曲を安全に進めるためか、テンポもマロニエ君の耳には遅めでキレがなく、ラン・ランも以前にくらべてもいよいよその演奏は粗製濫造の気配を帯びてきたように感じます。

エッフェル塔の下で似たような野外イベントがあったときもやはりラン・ランがソリストで、この時のラヴェルのコンチェルトはほとんど破綻していて、それなのに、なんでこの人ばかりにオファーがあるのか不思議でなりません。
もはや演奏の質や音楽性などどうでもよく、ただ知名度のあるタレントであることだけが必要ということなのでしょう。

シェーンブルン夏の夜のコンサートで驚いたのは、ピアノの詰まったような、音とはいえないような音でした。
よく見ると、鍵盤サイドの右手(客席側)に水滴のようなものがあって、よくよく目を凝らしてみると、やはりそれはまぎれもなく水滴であったのは「まさか!」という感じでした。
ピアノが置かれる前縁は雨が降り込んでくるのか、ボディもあきらかに濡れてサイドのSTEINWAY&SONSの文字のあたりはキラキラ光っているほどで、さらには大屋根の傾斜に沿って水滴がザーッと斜め下に落ちているのも確認できました。

マロニエ君も数多くスタインウェイを使ったコンサートや映像を見てきましたが、ピアノが雨に濡れながら演奏される光景は初めて見ましたし、なんというか…とても嫌なものを見てしまった気分でした。
きっと今のピアノは材質も昔のそれとは違い、おまけにボディ、響板、フレームなど大半の部分がほとんどコーティングのような分厚い塗装をされていて、もしかすると濡れても大した問題ではないのかもしれません。…が、やっぱり見ていて強い嫌悪感を覚えました。

のろのろテンポのブルレスケのあとは、アンコールにモーツァルトのトルコ行進曲を弾きましたが、こちらは打って変わって超ハイスピードの、ほとんどやけっぱちみたいな演奏で、名前を乱乱と変えたほうがいいような、そんな雑な演奏ぶりでした。

宮殿の庭に陣取る大勢のオーディエンスは、おそらく本気で音楽を聴きにきた人々ではなく、大半が観光客などであろうとは思います。
世の中、むろん経済発展は大切ですが、だからといって文化がここまで身を落として蹂躙されるのは納得がいきません。