今年の5月、王子ホールで行われたアンヌ・ケフェレック・ピアノリサイタルを録画からみてみました。
曲目は、演奏順にショパンのレント・コン・グラン・エスプレッシオーネ、幻想即興曲、子守歌、舟歌、リストの悲しみのゴンドラ第2番、波を渡るパオラの聖フランシス、ドビュッシーの月の光、ヘンデルのメヌエット。
やはりというべきか、この人は大曲より、小品を弾くことで作品に可憐な真珠のような輝きを与えるタイプだと思いました。ただ大曲でも、波を渡るパオラの聖フランシスはよく弾き込まれていて感心させられ、逆に舟歌などは作品の重量が意図的に削り落とされたような印象でした。
幻想即興曲は全体に雑な印象で、これほど誰でもが知っている曲は、弾く側もそれなりの準備がなくては却って不利になると思われます。いっぽうドビュッシーやヘンデルでは、ケフェレックの小兵故のハンディが出ず、もっぱら彼女のセンスの良さで聴かせる佳演でした。
月の光は、技術的にも困難ではなく、これまた超有名曲のわりには満足のいく演奏がなかなかない作品だと思いますが、ケフェレックのそれはフランス人らしい趣味の良さと、いわばネイティブの響きが俄然光りました。
しっとり歌う部分とサラリと流す部分、音を滲ませる部分と個々の音の輝きを強調する部分、アクセントをつけてはならない部分とつけるべき部分の見極めなどがいちいち的を得ているのは、さすがというべきで、この曲を弾く、多くの人が学ぶところの多い演奏でした。
ショパンは全体にあまりにさらさら流しすぎて、せっかくの凝った響きや音型がすっとばされていくようで、もうすこしショパンが作品に込めたひとつひとつの端正な言葉とか精緻の限りをつくした音の組み立ての妙を味わわせてほしいという不満が残ります。
その点で、リストは演奏者に与えられた自由度が比較にならないほど広いことを実感します。
白状するなら、どちらかというとマロニエ君はあまりリストが好きなほうではないというか、率直にいうと苦手なのですが、その中では、この日弾かれた2曲は比較的嫌いではないほうの作品です。
むろんリストが音楽史の中で果たした功績の大きさ、とりわけピアノを語る上では欠くべからざる存在というのはわかっていても、理屈でなしに苦手なものはやっぱり苦手なのです。
画家にもありますが、並外れた才能と卓越した筆致力はあるとしても、片っ端から多作乱作するタイプというのがあって、なんだかそういう要素を感じます。フェルメールのように作品が少ないのも残念ですが、やたらと数ばかりが必要というものでもありません。
レスリー・ハワードというピアニストがリストのピアノ作品録音をしていますが、その数なんとCD約100枚ですから驚くべき作品数で、これでは個々の作品に手間暇をかけているわけにもいかなくなるでしょうね。
詳しい方からは叱られるかもしれませんが、この2曲も終始大げさで芝居がかったようで、リストの作品にはある種のいかがわしさを感じてしまうのです。ものものしいわりに途中で何をいいたいのやらわからない意味不明な時間が長く続き、ようやくなにかが見えてきたと思ったらそれが押し寄せるクライマックスと解放といういつものパターン。
よくわからないのは、フランス人というのはおよそフランス趣味とはかけ離れたリストを採り上げる機会が意外に多いという点です。メルセデス・ベンツとか、もっと昔はキャディラックなどを口では大いに軽蔑しながら、実際はそれらをとても好むという一面をもっていましたから、同じようなものかとも思います。