かねてより思うことですが、世の中を必要以上に不幸にしている、あるいは間違った方向に誘導している要因のひとつに、マスコミの不可思議な体質もかなり責任があるのでは?と感じます。
なにもここで、集団的自衛権や沖縄の基地問題に触れようとは思いませんが、どうして日本のマスコミは日本人の心をあえてざわつかせるようなネガティブなことばかり言い立てるのだろうと、この点はまったく理解に苦しむことがあまりに多すぎるよう思います。
そもそもマスコミの体質の底流にあるものは、体制批判であり、権力に対する抵抗精神かもしれませんが、それがいささか不健全というか、そのことと国民の利益を考えることは本来矛盾するものではない筈だと思います。
外交や防衛といったハードなものでなくても、たとえばニュースで連休やお盆など長期休暇に流れる内容は、ここ数年というもの「倹約ネタ」がずっと主役の座を占めていて、休暇の過ごし方、楽しみ方ひとつが、いかに節約ムードであるかということばかり、くどいばかりに採り上げます。
「元気をもらう」などという歯の浮くような言葉は巷にあふれていますが、本当の意味で元気の出るようなニュースなんてまるでなく、どこそこの温泉は通常価格に対して何人限定で○○円とか、あちこちで開催される「無料体験」「無料イベント」にいかに多くの人が列を作るかというようなことを、これでもかとばかりに言い立てます。
政府の急務は景気回復というようなことを口ではいいながら、市井の話題となるとタダもしくは異常とも思える破格値の話題などにカメラを向け、早い話が世の中がケチになったという話ばかりを追いかけ回し、これを視聴者へ無制限に垂れ流します。
「無料の工場見学が人気で、連日何千人が訪れ、帰りにはお土産までもらえる」というようなことばかり聞かされると、まともな出費をすることさえ馬鹿らしいような気分になって、いつまでたっても精神的デフレから脱却できるはずはないでしょう。
これじゃあ世の中が内向きで倹約指向になるのも当然です。
お金を使うことが単純にエライだなんてむろん思いません。しかし、人は過度の倹約節約にとらわれると、だんだん嫌な人間になっていくものです。ほどよい無駄は人を柔和にするものなのに、それをあれもこれもカットしていると、いつしか心がすさんでしまいます。
あるていど購買意欲が湧いて、消費行動へと繋がっていかないことには景気もGDPもあったものではないでしょうし、それは人間性の保持のためにも必要なことだと思います。
しかるに、次から次へと浅ましいことを考えついて、そのための情報を手繰りよせることがまるで賢いことであるかのような、そんな価値観と思考回路を作った責任の一端は、間違いなくマスコミの報道にもあると思うのです。
日本人は自虐趣味などとしばしば言われますが、それを生み育てたのもマスコミではないかと思います。どんなに頑張っても良かったとは言わず問題点ばかり探し出し、ダメの解説ばかり聞かされているようで、これじゃあいじけてしまうのも無理はありません。
少しは世の中のことを明るく捉えて、元気を取り戻させてほしいものです。