宮崎国際音楽祭

今年の宮崎国際音楽祭から、総監督である徳永二男のヴァイオリン、野平一郎のピアノでシュニトケのヴァイオリンソナタ第1番と、漆原啓子、川田知子、鈴木康浩、古川展生による弦楽四重奏とソプラノの波多野睦美による、シェーンベルクの弦楽四重奏曲第2番が放映されました。

いずれも12音で書かれた20世紀の作品ですが、これが思いのほかおもしろい作品で、終始集中して楽しむことができました。

いずれも徳永氏の解説で述べられたとおり、演奏される機会は極めて少ないものの興味深い作品で、シュニトケのヴァイオリンソナタ第1番は「芸術音楽と軽音楽が融合し、さらには映画音楽やジャズの要素まで混ざり込んでいる」というものでしたが、かといって決して娯楽一辺倒のものではありません。

またシェーンベルクの弦楽四重奏曲は全4楽章からなり、彼の30代中頃の作品ですが、なんと第3/4楽章にはソプラノが加わるという驚きの作品でした。徳永氏によれば、第1楽章ではまだ調性音楽の要素を留めているものの、これが第2楽章以降に進むに従い、次第にそれが危うくなって12音音楽に到達するということで、この一曲の中で、19世紀後期ロマン派の調性音楽から20世紀に台頭する無調の音楽への変遷が凝縮されているようでした。

シュニトケのソナタでは、聴き込んだ曲ではないので断定的なことは云えませんが、徳永、野平両氏の演奏は四角四面すぎて、まあ立派ではあるけれど、個人的にはもう少し表現の幅を持った雄弁なアーティキュレーションがほしかったと思いました。
とはいえ、まずは充分に楽しめたことは収穫でした。

続くシェーンベルクの弦楽四重奏曲では、まず上記4人によるクァルテットのアンサンブルが見事で、いまさらながら日本人の演奏精度の高さを感じずにはいられません。
第3楽章からは、背後の椅子に控えていた波多野さんが前に出て、朗々と、そしてどこか怪しげな世界を歌い上げます。

第1楽章からしてどこか荒廃した地の果てを垣間見るような空気感があふれ、それが後半への布石となるのか、ソプラノの登場によってさらに決定的なものへと展開していくようです。
ただ、独特な魅力ある作品だとは感じつつも、ソプラノが加わって以降というもの、マロニエ君の耳には歌曲としか認識ができず、これを弦楽四重奏として受け取るほど自分の耳が鍛えられてはいないことを実感します。まあ良い音楽であることの前では、音楽形式の枠組みがどうかということは大したことではありませんが。

全編を通じて感じたことは、東京の演奏会などより、演奏者もこころなしか気合いが入っているようで、音楽というものは奏者の気合いとか本気度で、その魅力はまるで変わってしまいます。
冷めたような義務的な演奏が横溢するなか、音楽への情熱と作品の真髄を聴衆に伝えようとする意気込みはなによりも大切で、その点で今回の演奏は大変立派なものだと思いました。

ピアノは20数年前にこの文化施設竣工時に収められたと想像される、ちょっと古いスタインウェイですが、これがまたなかなか音に深みと艶のあるピアノで、この時期が本当にスタインウェイらしい音をもっていた最後の世代ではないかという気にさせられます。

良いピアノというのは、聴いていて、一音一音に重みがあり、個性と艶があり、それだけでも聴くに値するものだということをいまさらながら感じました。