価値を買う

価格というものが高いとか安いという判断は二つあるように思います。
ひとつはこれといった基準もないまま絶対額を差す場合。もうひとつは価格を分母、対価を分子においてなされるところの、いわゆるコストパフォーマンスの原理です。

何事においても、うわべの数字ばかりに目を奪われがちなのは凡人の悲しき習性ですが、数字の安さに誘惑されているだけで、本当に得をするなんてことは滅多にありません。
自分なりに正しく判断したつもりでも、結果的にそれなりのものでしかなかったという事が少なくないのも現実で、そうそう都合のいい話が転がっているわけがないのです。

とくに今は昔のように骨董屋で掘り出し物が見つかるようなのんびりしたご時世でもありません。
これでもかとばかりに無数のビジネスが出現し、ものの価値は隅々まで検証され、整理され尽くして価格へと反映されています。さらにネット社会が追い打ちをかけ、情報は溢れ、自分だけ甘い話に与ることなんてそうはないのが当たり前です。

だから、安いものには安いだけの理由があると考えるのが順当でしょう。
物品、食べ物、技術、サービス、安全等いずれに於いても、安いものはやっぱりそれだけのものしかないわけで、これは至って当たり前のことでなんですね。

自分に潤沢な経済力がないものだから、差し当たり、できるだけ安く済ませたいという誘惑があり、知らず知らずのうちにそちらに流れている自分が確かにいるようです。それを尤もらしく理由付けしたり正当化しているのは、要は身勝手な辻褄あわせに過ぎません。
他人のことなら「質は二の次で、安さを優先」などと批判的な目で見ているくせに、自分もよく考えてみたら同様だったりするわけで、これには思わず赤面してしまいます。

自分のことは、どうしてもそれなりの事情や理由に直面しているため、無意識のうちに都合のいい判断をしてしまいますが、冷静に考えたら、これは自分自身に対する詭弁だと思います。

電気製品などを買うなら単純に安さを求めてもいいかもしれませんが、技術や質、付加価値など、事としだいによっては、価格はちゃんとそれなりの裏付けがあると見るべきで、こういう局面での節約は、まったく節約にならないことをとりわけ痛感するこの頃です。

数字に惑わされることなく、冒頭のコストパフォーマンスをいかに正しく見極めることができるか、これが一番大切だと思います。

マロニエ君も自分を振り返ると、それなりに得をしたと思い込んでいたものが、実はそれほどでもなかったと後で気がついたことは一度や二度ではありません。

早い話が、大して必要もないものをバーゲンだからといってむやみに買ったりするのは無駄だと思いますし、あまり大事にもしませんが、本当に欲しいものを定価で買うと、静かな喜びと愛着がわくものです。
長い目で見るとこっちのほうがよほど価値があると思うのです。

今後も同じような失敗をしないという保証はまったくありませんが、できるだけ少なくするよう肝に銘じておきたいところです。