シェプキン

このところバッハ弾きとして頭角をあらわしているらしいアメリカ在住のロシア人ピアニスト、セルゲイ・シェプキンのバッハとはいかなるものか、聴いてみたくなり、まずは1枚CDを手に入れました。

店頭でもシェプキンのアルバムは何度か目にしていましたが、バッハではなくブラームスのop.116/117/118/119というもので、曲はいかにもいいけれど、そのジャケットの写真はブラームスというより酒場っぽいイメージで、どうもそそられずに買いませんでした。

それからしばらくして、彼がバッハ弾きとしても実績と評価を積んでいるようなので、ともかく一度は聴いてみたいという気になり、まずはネットで中古のディスクを買いました。
曲目はパルティータの第1番から第4番までの4曲。

シェプキンはバッハ演奏に際してさまざまな考察を行い、装飾音などにも自分自身の解釈や創案を織り込んでいるらしく、その独自性が非常に注目されているようです。また、すでにゴルトベルク変奏曲も2度録音し、新しいものでは新解釈を世に問うているようですが、こちらは新旧いずれも聴いたことがありません。

ともかく現在はパルティータしかないシェプキンのバッハを聴いてみることに。
あまりにも有名な第1番の出だしから、なるほど装飾音に異質なものを感じますが、それは保留のまま聴き進みます。
一通り聴くのに1時間強かかりますが、差し当たり、言われるほどの新鮮さは感じませんでした。このディスクの録音は1995年ですから、もしかするとシェプキンの演奏としては充分に熟してはいないということもあるのかもしれません。

その後、何度も繰り返し聴くうちに、少しこの人の演奏にも耳が慣れてくる自分を感じはするものの、正直なところ、彼の解釈が取り立てて斬新だとも創意に溢れているとも、さほど思いませんでした。
ただ、ロシアの優秀なピアニストの例に漏れず、相当のテクニックをもっていることは痛感させられましたし、シェプキン本人には悪いけれども、その音楽性云々というより、その技巧を楽しむことのほうがはるかに魅力だというのがマロニエ君の受けた率直な印象でした。

何がすごいかというと、その確かな打鍵による、ピアノを十全に鳴り響かせる男性的な音色と、瞬発力にあふれた指さばきでした。
最近は時代のせいか、ピアノを正面から鳴らしきることのできるピアニストが減ってきており、よりスマートで軽やかに弾くスタイルが主流ですが、その点ではシェプキンの演奏はその音色やダイナミズム、タッチそのものに男性の骨格でないと決して出てこない余裕と固い芯があって、これはこれで久々に胸の支えがおりるような爽快感がありました。

むろん叩きまくりのピアノは嫌いですが、なよなよした線の細い演奏であるのに、それをさも音楽的であるかのようなフリをした演奏が少なくないのも事実ですから、たまにはこういう根底の力強さに支えられた、スタミナあふれる演奏に身を委ねるのもいいなあと思いました。

ピアノはニューヨーク・スタインウェイが使われていますが、こちらのほうが強靱なタッチにも決して根を上げない鷹揚さがあり、多少ざらついた乾いた音色でありながら、こまかいことにはこだわらずにピアノが鳴りまくっているのは、これはこれで快感でした。

続けてパルティータの残り5/6番とフランス風序曲を入れたCDを買いましたが、おおむね似たような印象でした。なんとなくブラームスも少し聴いてみたくはなりました。
ブラームスの後期のピアノ曲は、あまりに枯淡の境地を強調しすぎるきらいがあり、それの行き過ぎない演奏を聴いてみたい思いがあり、もしかしたらシェプキンはそれに該当しているかもしれませんから。