ウズベキスタン出身のベフゾド・アブドゥライモフは、近ごろ少し注目されているらしい若いピアニストで、すでにメジャーレーベル(デッカ)から2枚のCDが発売されています。
協奏曲ではチャイコフスキー1番/プロコフィエフ3番、ソロアルバムでは、プロコフィエフのソナタ6番、悪魔的暗示、サン=サーンス:死の舞踏、リストのメフィストワルツなど、その曲目を見るだけでおよそどんなタイプのピアニストか、なんとはなしに察しがつきそうです。
ジャケットを見てそれほど「何か」は感じなかったので、そのうち聴けるチャンスはあるだろう…ぐらいに思っていたところ、その機会は早々にやってきました。
今年6月のN響定期公演に出演し、ラフマニノフの3番を弾いた様子が『クラシック音楽館』で放送されました。指揮はアシュケナージ、会場はNHKホール。
出だしユニゾンの第一主題は、ねっとりと間を取りながらの歩みで、ピアノを中心に右の聴衆と左のオーケストラの両側を同時に牽制しているようで、この若者から「慌てなさんな」と云われているようでした。が、そこを抜け出すとアブドゥライモフの指は忽ち解放されたように疾走をはじめます。
その手は大きく厚く、楽々と動いては確かなタッチに結びついて、発音にはその骨格からくる力強さが漲り、それが随所で心地よく感じることも事実でした。スタミナもあり、轟然たるフォルテッシモの連続投下などはお得意のようで、大舞台で大曲難曲を弾かせるにはうってつけのピアニストというのは間違いないでしょう。
この人の魅力は、なんといってもその力強い芯のあるタッチと、密度感のある冴え冴えとした音にあるのではないかと思いました。近年のピアニストの多くは、いろいろなことに配慮するあまり、ある種の覇気を失ってしまい、燦然と輝くようなピアノの音を出さなくなりました。
叩きまくるピアノが否定され、知的に統御されたピアニズムが良しとされる風潮もあってか、悪くいうとしっかり音を出さぬまま弾いています。そんな風潮に反旗を翻すような筋力を魅力とした演奏で、オーケストラのトゥッティにも決して負けない打鍵の逞しさは、どこか英雄的でなつかしくもあります。
ただし、アブドゥライモフが肉食系だといっても、昔のように無邪気な筋肉自慢のそれではなく、正確な譜読みやコントロールされた打鍵など、周到な準備には怠りない上でそのマッチョなテクニックを披露していく周到さは、いかにも今風のぬかりのなさを感じます。
ただ、聴いていると、一本調子でだんだん飽きてくる感じもあったのは事実です。
弱音や繊細なパッセージなども、あとに待ちかまえるフォルテッシモや随所での炸裂にいたる伏線のようでしかないのは、音楽の深いところに触れるというより、やはりどこか鍛えられたアスリートのパフォーマンスを見るようです。
終始激しく、際限なく飛び散る大量の汗の飛沫も、そんな印象に拍車をかけたかもしれません。曲が曲だったせいもあるでしょうが、むしろオリンピックの男子体操競技を見ているようで、難所難所を通過するたび、スポーツ解説のように「C難度!」「E難度!」「うーん、ここも見事にクリア!」「残るはコーダのみ!」といった実況中継を付けたくなりました。
こういう人の弾くラフマニノフの3番というのはあまりにもベタな印象で意外性がなく、もしかするともっと軽い曲を弾かせてみると、そこでどんな味わいがでてくるのかと思ったりもします。
それにしてもNHKは、オーケストラの録音となるとなぜああまでくぐもったような、ショボショボした小さい音にしてしまうのか、わけがわかりません。視聴者に音楽を楽しませようという意志がないのか、普段の5割増ぐらいのボリュームにしてもダメで、なんのための音楽番組かと思います。