小兵の魅力

N響定期公演に中野翔太という若いピアニストが登場し、はじめてその演奏を聴きました。
曲はグリーグのピアノ協奏曲。

一見して、ステージ人という雰囲気のまったくない、日本のどこにでもいそうな青年ですが、そのピアノには好感をもちました。

いやなクセがどこにもなく、はじめは今どきのいわゆる無味乾燥な楽譜通りの演奏のようにも感じますが、聴き進むうちに必ずしもそうでもないことが少しずつ伝わります。

日本人的な精度の高さと繊細さが支配的ですが、その中になんともいえない均整感のよさのようなものがあり、ディテールの閃きや華やかな技で聴かせるのではなく、全体を通じてじわじわと染み込んでくる心地よさが印象的でした。

その風貌や体格、あるいは指さばきをみても、いわゆる大器というタイプではありませんが、全体に好ましい配慮の行き届いた、いわば小さな高性能という印象です。ピアノは大きな楽器ではありますが、誰でも彼でもロシア人のようにパワフルで技巧的なことが絶対ではないことはいうまでもありません。

相撲でも小兵力士というのが格別な魅力を持つように、細やかな息づかいやアーテキュレーションで音楽の深いところにいざなってくれる、気の利いたピアニストというのも捨てがたい魅力を感じます。

マロニエ君はこの中野さんのピアノはこの1曲しか聴いたことがないので断定的なことは云えませんが、作品の隅々まできちんと見通しがきいて、それが演奏へと緻密に反映されているようです。それでいてメリハリもきちんとあり、必要なアクセントや輪郭はぬかりなく押さえているのは立派でした。

とりわけ協奏曲の場合は、ソロとオーケストラの音量のバランスも大切ですが、この点もほんのちょっとだけ弱いぐらいの印象があり、けなげにピアノが鳴っているという感じが絶妙でした。
それが却ってひとつの作品としての一体感を生み出し、これはこれで聴いていて非常に心地よいものだということが良くわかります。

それにしても昔はグリーグのピアノ協奏曲といえばこのジャンルの定番で、似たような演奏時間とイ短調ということもあってか、多くがシューマンのそれとカップリングされて録音されていたものですが、近年はどちらかというとあまり演奏されない曲になってしまった気がします。

以前、キーシンが弾いたのを聴いたときも非常になつかしい、忘れていたものを聴いたような記憶がありましたが、それいらいのグリーグでした。
あまりにも有名な和音とオクターブによる冒頭部分などが、幻想即興曲のように、ちょっと恥ずかしい感じの名曲に分類されてしまったのかもしれません。

その点では中野さんは、そういった名曲についてしまった長年の汚れや手あかを洗い落として、すっかりきれいにクリーニングでもしてくれたようでした。
こういう派手ではないけれど良質な演奏家が、たんなるピアノを弾く有名人としてではなく、その美しい演奏が評価されることによって愛聴されていくことが必要だと思いました。

演奏以外のことで有名になり、タレントみたいなピアニストなんてもううんざりですから。