福岡市の南の丘に佇む芸術空間、日時計の丘ホールの企画公演である『バッハのクラヴィーア作品全曲演奏会』も5回目を迎え、今回は場所を福岡銀行本店ホールに移して、少し大きな規模で行われました。
ピアノはこのシリーズ唯一のピアニスト管谷怜子さん。
前半はパルティータ第1番、6つの小前奏曲、フランス風序曲、後半は弦楽五重奏を迎え入れてのピアノ協奏曲第1番というものでした。
このシリーズで協奏曲が登場したのは初めてのことです。
演奏はいつもながらの端正かつふくよか、まったく衒いのない、真摯なバッハが描き出されます。
終始一貫、気品にあふれつつ音楽的な迫りも十二分にあり、作品がピアニストの手によってみずみずしい養分を与えられ、それが生きた音となって自然に語りかけてくるようです。
フォルムの端然とした美しさ、適切なダイナミクス、決して潤いを失わないしなやかな音色は、このピアニストの大きな美点のひとつであることを聴くたび毎に感じさせられます。
いつもと異なる点は、会場が大きいぶん、日時計の丘のブリュートナーを至近距離で聴くときのような細かな表現のあれこれや、走句や表情の弾き分け、妙なる息づかいなどが、完全には聴き取れないというもどかしさがあった反面、こういう響きの素晴らしいホールだからこそのリッチな音響に与る楽しみもあり、どちらにも捨てがたい魅力があるものです。
管谷さんも会場の大きさを考慮してか、いつもより打鍵が強めになっているように感じましたが、なにぶんマロニエ君は後方の席で聴いたので、たまたまそういうふうに聞こえただけかもしれません。
この日は全曲を暗譜で演奏されましたが、始めから終わりまでバッハだけで弾き通すというのは並大抵のことではなく、通常のリサイタルよりも数段しんどいだろうなあというのが率直なところでした。
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さて、いささか迷いましたが、聴衆の一人としてあえて少し触れておくと、この日の調律はどちらかというとこの日のプログラムに適ったものだったかどうか…そこが個人的にはやや疑問に感じたことは否めません。
休憩時間はロビーに出たし、席に戻ったあともピアノの調整はなかったので、どなたがされたのかわからずじまいでしたが、ともかくこれはマロニエ君の率直な感想です。
知らないことを幸いとしているわけではありませんが、まったくありきたりな平凡な調律だと感じたことは少々残念というべきでした。とりわけコンサートでは、わずか2時間の本番に全力を尽くすピアニストと、それを聴きにやってくる聴衆、その両者のために、いかにピアノを音楽的に好ましく鳴らすかというのがピアノテクニシャンの勝負だろうと思います。
オール・バッハ・プログラムというからには、当然それにフォーカスした調律がなされて然るべきで、それによって演奏は際立ち、助けられ、より深い説得力をもつものになる筈です。
今回そういうものがあまり感じられなかったのは、もしかしたらマロニエ君の耳のほうがおかしいのかもしれませんが…。
一般的にピアノのコンサートは、ピアニストの技量や音楽性ばかりが問題にされますが、それを一方で強く支えているのは楽器です。とくにスタインウェイは、最もオールマイティなピアノだといわれますが、それはあくまでも潜在力の話であって、普通に調律しておけば何を弾いてもOKということではない筈です。
同じピアニストでも、バッハとラフマニノフでは弾き方を変えるのは当然ですが、おなじことが調律にも云えるとマロニエ君は思うわけです。