男の自意識?

今年7月にサントリーホールで行われた山田和樹指揮のスイス・ロマンド管弦楽団の演奏会から、樫本大進のソリストによるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をNHKクラシック音楽館の録画から聴いてみました。

全般に力の入った演奏で、会場はたいそう拍手喝采でしたが、個人的にはそれほど好みではなかったというのが正直なところです。

音楽的にも、これという個性やメッセージ性があまり感じられないにもかかわらず、自分という存在の主張だけは怠りないものが感じられました。

マロニエ君の印象としては、樫本氏は、現在の彼が背負っている肩書きというか、手にしているポストの高さを日本の舞台でも立証してみせることのほうに意識が向いているようで、演奏もそちらの要素が主体のものであったような気がしました。

もちろん、それは目先の技巧ばかりを見せつけるような単純なものではなく、各所での思慮深さなどを充分考え、深めた上でのものだという体裁にはなっているものです。なんだかそこまでのしたたかな思惑が見えてくるようで、要するに、聴く側に演奏が深く染み込んでくると云うことがあまりなかったのが個人的な印象でした。

ソリストでも名を馳せ、それになりの活躍をして実績を積んだ上で、さらにはベルリンフィルの第一コンサートマスターに就任したということが、飛躍的な地位の格上げになったものは間違いないでしょう。

ただ、真実それにふさわしい演奏ができているのか、あるいはそれに値する器の持ち主かということになると、マロニエ君は正直よくわかりません。

チャイコフスキーの協奏曲ではオーケストラの序奏に続いて、すぐにヴァイオリンのソロが入りますが、それがあまりに意味深で芝居がかったようで、いきなり曲の流れが途絶えたようでした。この気配というのは、ほんのわずかのことではあるけれども、そのわずかはとても重要で、聴く側にとっても独奏者がこれからどういう演奏で行こうとしているのか、おおよそ方角が決定されるように思います。

そして、なんとなく、あのフレンドリーな笑顔が印象的な樫本氏にしては、かなり自分を前に出すなぁ…という印象でした。

ナレーションで言っていましたが、樫本氏と指揮の山田和樹氏はドイツでも親しい間柄なんだそうですが、終演直後のステージマナーのちょっとした所作では、名門スイス・ロマンドと山田氏に対して、かすかに上から目線な態度だったように感じられたのは、思わず「ほぅ」と思ってしまいました。

男の競争心というのは、どんな世界でも上を極めるほどに凄まじいものがあるものですが、ここにもチラッとそれを見てしまったようでした。

ちなみに、山田和樹氏の演奏には、これまで好感の持てるものにもいくつか接していましたが、このチャイコフスキーではまるで作品にLED照明でも当てたみたいで、あまりに憂いがなく、この点にはちょっと馴染めないものを感じてしまいました。
オーケストラはサイトウキネンではなくスイスロマンドなのですから、もしかするとこれが最近の明晰な演奏のトレンドなのかとも思われました。

かつてのロシアのオーケストラのような、どこかアバウトだけれど、叙情的でやわらかな響きのチャイコフスキーというのは、もはや時代に合わないものになったのか…いろいろと考えさせられました。