いつだったかCD店の処分セールのワゴンの中から買ってみたもののひとつに、コンラッド・タオという中国系アメリカ人のアルバムがあり、このとき初めて聴きました。
ピアニストで作曲家、おまけにヴァイオリン演奏もプロ級という大変な才能の持ち主のようで、このアルバムでもラフマニノフのプレリュードやラヴェルの夜のガスパールのほかに自作の作品もいくつか含まれていました。
すでにダラス交響楽団からケネディ大統領暗殺50年のための委嘱を受けるなど、作曲家としてもすでにかなりの評価を受けているようです。
まだ二十歳前という若さにもかかわらず、非常に洗練されたスタイリッシュかつ雄弁な演奏であるのは印象的で、技巧的にも申し分なく、あらためて音楽の世界は若い時期にその才能が決定してしまうことをはっきり思い知らされるようでした。
いかにも中国人という感じの、あまり期待させるジャケットではなかったので、よけいにその趣味の良い完成された演奏、さらには自作の作品もなかなかのもので、こういう優れた才能が存在していることに驚かされました。
気をよくしてyoutubeで検索したところ、その中の映像ではさらに若い頃のものか、リストかなにかを弾いているものがありましたが、なんとそこでの彼は中国節全開で、到底CDの演奏と同一人物とは思えないようなものであるのに愕然とさせられました。
この点はたいへん不可解ではあるけれども、善意に解釈すれば、その後の研鑽によって一気に国際基準の語り口を身につけ、現在のようなスマートな演奏が確立されたということかもしれません。真相はわかりませんが、今のところはそう思っておきたいと思うのです。
マロニエ君の好む演奏のひとつに、繊細なのに音楽的な熱気があるというスタイルですが、コンラッド・タオのピアノにはそれを感じ、中国の才能も大したものだと思います。
ああ、またか、と思われる向きもあるでしょうが、これだけいろいろな才能がある中で、なぜランランのような人がひとりスター扱いを受けるのか、この点が甚だ納得がいきません。
ランランで思い出しましたが、どうして中国人青年の若い頃というのは、だれもかれも昔の板前さんみたいな五分刈り頭で、まわりから浮いてしまうほど場違いな雰囲気を発散するのかと思います。
ある意味で、いまや伝説の映像となっている、若いランランがデュトワ指揮N響と共演したラフマニノフ3番のときもこれだったし、ニュウニュウもはじめはそれ、そしてアメリカで育った筈のコンラッド・タオでさえやはりこのスタイルなのは唖然としてしまいます。
例外はユンディ・リだけでしょうか…。
まあ、それは余談としても中国の音楽家の良いところは、演奏がぶつぶつ切れるような縦割りではなく、好き嫌いはあるとしても、みんなある一定の流れを持っているところのような気がします。
ひょっとすると、これは複雑な発音を流暢にしゃべる中国語にその源流があるのかもしれません。
なにかにつけ優秀な日本人ですが、こと外国語の発音だけは本当に苦手で、今回のノーベル賞受賞者といい小沢征爾さんといい、もう少し上手くて当たり前だと思うような国際人でも、どこかカタカナを並べたようで、やはり日本語という言語に深い理由があるのかもしれません。