プロフェッショナルのスタンスに関連して思い出したことを少々。
世の中にはビジネスをやっているにもかかわらず「ありがとうございました」という言葉、もしくはそれに準ずる挨拶を決してしない人が(ごく稀に)いるというのは首をひねるばかりです。
医療関係や学校関係がそれをいわないのは、まあなんとなく社会の慣習として定着していますが、それにも当たらない大半の業種では、これなしではなかなか場が収まりません。
であるのに、毎回どうにかしてこの言葉をすり抜け、あげくには、あま逆さまにお客側に御礼を言わせてしまうという摩訶不思議な状況になるのは、呆れると同時に、なぜそこまでこだわるのか理解に苦しみます。
その理由は、きっと心の深いところにわだかまっていて、体質や細胞にまで染み込んでいるのだと思います。
ふと振り返っても、通常の仕事はもちろんお客さんを紹介するなどしても、一度としてその言葉を聞いたためしがないとなると、これはよほど重症なのだろうと思われます。
「ありがとうございました」という言葉は通常の人間関係でも日常語であり、ましてやビジネスともなれば、ほとんど呼吸同然に身についているのが普通です。食べ物屋に行っても、モノを買っても、金融でも、技術でも、サービスでも、100円ショップでさえも、この言葉は過剰ともいえるほど繰り返し聞かれ、言う側も、言われる側も、これなしでは関係が立ちゆきません。
心からの感謝の気持ちかどうかは別にして、皆ごく当然の流れで「ありがとうございました」を口にしていますし、これは商行為のケジメであるし、仕事というものはどのみちそんなものの筈です。
それでも、この言葉を極力発したくないというこだわりがあるとしたら、そんな人はそもそも商売なんかせず、勉学に励み、医者か官僚にでもなればいいのです。
ビジネスに対する意欲や情熱は人一倍あるのに、この言葉を頑として口にしないというのは、明らかに意識的としか思えません。きっとそこには心の屈折がある筈で、ひとくちに言ってしまえば、よほど自信がないことの証明だと思って間違いないでしょう。
御礼を言うことは自分が頭を下げて負けるようであり、そのぶん相手が上に立って優勢になるというような、卑屈で脅迫的なイメージが固定されているのかもしれません。
これと同じことは、「申し訳ない」や「すみません」にもあらわれ、これがスッパリ言えない人にはやはり卑屈さがあり、むやみに勝ち負けを意識する思考回路になっているのでしょう。
コンプレックスから意識過剰になり、卑屈になって、挨拶が挨拶以上の意味に感じられて、それを口にしたくないということもありそうです。
子供が好きな女の子にかえって意地悪をするように、人間は本心は悟られたくないときに場違いな強気の態度をとってしまうという防衛本能があるのかもしれません。
とはいえ、ビジネスの現場にまでそれを持ち込むのは、いかがなものかと思います…。
そもそも、自分に自信のある人というのは、心にも余裕があるからおおらかで気持ちも明るく、何事も偉ぶらず、御礼やお詫びなども、臆せずに、堂々と、盛大に言うものです。
自信のある人は、どんなに感謝やお詫びの言葉を口にしても、それで自分の立ち位置がけっしてブレることがないことを知っています。
逆にそういう言葉を避けたり惜しんだりする人は、自分ではそれこそがプライドのつもりなのかもしれません。しかし、悲しいかな目論見どおりには人の目には映ることは決してなく、むしろ力んでばかりいる臆病な小動物みたいに見えてしまいます。