驚倒

「CD往来」というタイトルで、知人との間でオススメCDのやりとりをしていることを書きましたが、いまだにときどき続いています。

過日送っていただいた中には、コンスタンティン・リフシッツの「フーガの技法」、ドイツの若手であるダーヴィッド・テオドーア・シュミットによるブゾーニの編曲ものばかりを集めたアルバムが含まれていました。

この二つに共通しているのは、いずれもベヒシュタインを使っているという点で、それを事前に聞いていたので興味津々でした。

手許にあるリフシッツの「音楽の捧げもの」はとくに記載はないものの、ほぼ間違いなくスタインウェイと思われるものだったので、それから数年を経た録音でベヒシュタインを使っているということは、きっとそれなりの理由あってのことだろうと大いに期待したわけです。

小包が届き、御礼メールをしたためながら、まずフーガの技法を鳴らしてみることに。
果たしてそこから出てくる音は、伸びのない、ただ茫洋とした古い感じのピアノの音で、メールを書く間の20分ほど鳴らしていましたが、てっきり旧型のベヒシュタインが使われたものだと思い込んでしまいました。その旨の感想を書いたところ、後刻、先方からジャケットの裏表紙の写真がメールに添付され、そこにはD282と書かれていたのには驚倒しました。

D282といえば現行のベヒシュタインのコンサートグランドで、エルバシャの平均律や近藤嘉宏のベートーヴェンなどもこのピアノが使われており(いずれも日本での録音)、そこで聴く音は、ベヒシュタインらしさを残しつつも、それ以前のモデルにくらべれば遥かに現代的かつ折り目正しく整ったピアノであることが確認されていました。
今どきの好みや要求を適度に汲み取ってパワーと安定感が増し、美しい音を併せ持ったなかなかのピアノという印象を得ていたのです。

ところが「フーガの技法」に聴くピアノの音は、それらとはかけ離れたもので、おそらくピアノの調整、弾き方、録音環境/技術などが絡み合っての結果だろうとは思われました。
とりわけピアノの調整についてはピアニストの要求もあったのか、それともよくある「お任せ」なのか…。

レーベルはオルフェオで、これは「音楽の捧げもの」も同様ですが、どうもこのレーベルの音質じたいにどこかアバウトさがあり、音に核がなく平坦、しかも残響が多くてフォルム感がなく、あまりその点に厳しくこだわるほうではない傾向なのかもしれません。

それにしても、日本で録音されたD282が、あれほど正常進化ともいうべき要素を備えていることを訴えていたにもかかわらず、場所や技術者が変われば、ただ古いだけのベヒシュタインみたいな音にもなるというのは、まったく予想だにしていませんでした。
一皮剥けばこんな旧態依然とした地声だったのかと思うと、好印象を得ていたのは特別な技術者によって入念に作られたよそ行きの声だったみたいで、なんだかがっかりしてしまいました。

別の見方をすれば、根底にはこのメーカーのDNAが脈々と受け継がれているということでもあり、その遺伝子こそが伝統なのだと言えないこともないのかもしれません。
ENからD282への進化は、むき出しのピン板がフレーム下に隠されたり、デュープレックスシステムを備えるなど、いかにもドラスティックなもののような印象がありましたが、実際には単なるマイナーチェンジに過ぎなかったのかもしれません。

CD往来では、いろいろな刺激や発見が次から次で、とても勉強させられます。