うわさのこわさ3

本のタイトルは忘れましたが、櫻井よし子氏の著書の中で、次のようなことが書かれていたのをふと思い出しました。

大まかな意味だけしか覚えていませんが、要するに、本当に大事な話とか、大切な内容をしっかり人に伝えるには、相手の目を見てゆっくりと静かに語りかけることが必要であるというようなことでした。

討論の場でも、大きな声を張り上げて自説をまくし立てるのは得策ではなく、あわてず冷静に、むしろ静かな調子で話をするほうが、相手は自然と耳を傾けるのだそうで、これはなんとなく「音楽的感動の多くがピアニシモに依存されている」という原理とも符合しているように思えました。

そして多くの調律師さんは、まさにそういった要素をある程度満たした語り術をごく自然のうちに身につけているようにも思えてしまいます。

一般論として、調律師さんの大半が話し好きであることは折に触れ書いてきました。
技術系の人が自分の技術の話をするのは、専門家としての自負と、一般に理解されないという欲求不満とがないまぜになって、ことさら語りたい願望があるのかもしれません。
わけても、調律師さんは仕事柄、お客さんと一対一で静かに話がしやすい状況にあり、その点では恵まれた舞台がけを持っているということになるようにも思えます。

なにかというと出てくる武勇伝は数知れず、他者の批判やさりげない否定は三度のメシよりお好きといった向きも少なくありません。しかも、一部例外はあるとしても、大半は言葉や態度はきわめてソフトであるし、いかにも慎重めいた言い回しをされるなど、これはまさに周到なトーク術というべきものだと思います。

マロニエ君などは聞いているぶんにはいろんな意味でおもしろく、じっさい勉強にもなるので調律師さんの話を聞くのは嫌いじゃないというか、むしろ好きなほうだと思います。
ただ、いかにも「ここだけの話ですが…」的な調子で、しかも自宅という閉鎖された空間で、他者に遮られることも反論されることもないまま、ひたすらひとりの技術者の話のみを聞いていると、つい相手に引きこまれてしまうという特別な状況下におかれることも否定できません。

とくにこの手のトークに免疫のない人にとっては、まさに赤子の手を捻るも同然で、一種の催眠術的…といえば大げさかもしれませんが、抵抗力の無い人間がいかに語り手の狙い通りに話を聞いてしまうかというのは人間の心理作用としてすでに証明されていることです。
少なくとも聞き手はこの時点で、一時的な痴呆状態に陥っているともいえるでしょう。

おまけに意味深かつ表現力のあるピアニシモで語られると、これは変な喩えですが、ある意味、くどきにも似たエロティシズムも加わって、イヤでも納得させられる状況に追い込まれます。同時に、そんなトークのネタにされる同業他者はたまったものではないだろうなぁ…と思うこともないではありません。
それでも楽しく聞いてしまうマロニエ君もマロニエ君ではありますが。

ウワサ話やおしゃべりは一般的には女性の得意分野のようにされていますが、本当にこわいのは男の知性でコントロールされた「それ」なのかもしれません。