少し前のBSプレミアムから、今年の6月にヴェルサイユの庭園で行われた、ナタリー・デセイとミシェル・ルグランらによる野外コンサートの様子を見てみました。
ミシェル・ルグランはフランスジャズ・ピアニストの雄で、同時に『シェルブールの雨傘』などの映画音楽も数多く手がけたこのジャンルの巨星です。
広い庭園に設えられた広いステージには、無造作に大屋根が半開きにされたスタインウェイDと、その他ジャズのためとおぼしき機材が置かれていますが、そこへミシェル・ルグランが登場。
簡単な挨拶のあと、まずは最近作ったというピアノ協奏曲を弾き出しましたが、この時点ではべつにどうということもない印象しかありませんでした。
しかし、その後にナタリー・デセイが登場して歌い始め、その他のメンバーが加わってきて、ミシェル・ルグラン本来の世界がやわらかに展開されて行ったのは圧巻でした。
ナタリー・デセイはフランスを代表するソプラノ歌手ですが、この日はオペラのアリアなどは一曲もなく、ルグランの作品などをいかにも手慣れた調子で歌いきったのには感心しました。
通常は、オペラ歌手がポピュラー系のものを歌うと、むやみに一本調子に声を張り上げるばかりの、まるで柔軟性のない「でくの坊」みたいな歌唱に失笑させられてしまうものですが、デセイには一切そんなところがなく、シャンソンの有名歌手であるかのような堂に入った歌いっぷりは見事でした。
さらに驚いたのは、ルグランはこの2時間近いコンサートを、最初から最後まで、休むことなくピアノを弾き続けたことです。
すでに82歳という高齢ですが、そのピアノにはまるで老いたところがなく、軽やかで、品位があって、バツグンのセンスが漲り、ミスもなく、これだけの長時間を一気呵成に弾き続けるその途方もない才能とスタミナには、ただただ脱帽でした。
普段はほんのごくわずかのジャズを除いては、ほぼクラシックしか聴かないマロニエ君は、こんな放送にでも巡り会わないかぎり、なかなかこういうコンサートを耳にするチャンスはないのが正直なところですが、ここには音楽にほんらい宿っているべき楽しさや喜び、心に直に訴えてくる様々なファクターに満ちていて、久々に新鮮な感動と満足を得ることができました。
わけても注目すべきは、ピアノ、ドラム、ベース、ギターのいずれもが、いついかなる場合もリズムが弛緩することなく、生演奏故につきものの、ちょっとした加減で互いの呼吸に乱れが出たりということさえもなかった(少なくともマロニエ君にはそのように思われた)点は驚くべきで、作品や演奏の素晴らしさと併せてその点にも大きな感銘を受けました。
かねがね思っていたことで、この際だから言ってしまいますが、ことリズムや呼吸というものに関しては、クラシックの演奏家はまったくだらしがないと言わざるを得ないというのが率直なところです。
器楽奏者は高度で複雑なテキストをつぎつぎに課せられ、演奏として処理していくだけで神経の大半をすり減らしているのはわかります。しかし、しばしば大筋の流れを停滞させてまで、自分の演奏や解釈を見せつけたり、必然性のない強調をしてみたりというのは、趣味としてもいかがなものかと思います。
のみならず、音楽が本来の拠り所とする、聴く者の気分を音楽によって喜びへといざない、楽しませるという、最も根元のところの使命感が稀薄になっていると思わざるをえません。
クラシックの演奏家がこの「聴く者を楽しませる」という課題にぶつかると、ただ大衆向けの名曲プログラムに差し替えることだけにしか頭が回らないのは、まったくの思い上がりと勘違いと怠慢であって、まずは自分が音楽を楽しまなければ聴く側が楽しいはずはないのです。
そういうことを、けっして押し付けがましくないやり方で、サラッと教えてくれたコンサートでもあった気がします。