他の人はどうだかわかりませんが、ピエール=ロラン・エマールは不思議なピアニストだと思います。
はじめてこの人を認識したのはもうずいぶん前のことでしたが、当時、リゲティの複雑なエチュードとかメシアンなどをつぎつぎに弾きこなす、現代フランスの前衛的なピアニストというイメージでした。
そんなエマールが次第に有名になるに従い、ラヴェルの夜のガスパールやドビュッシーを録音し、そのあとにはアーノンクールの指揮でベートーヴェンのピアノ協奏曲を全曲録音していきますが、個人的にはこのベートーヴェンにはそれほどエマールのいいところが出ているようには思えないというか、要するに何度聴いても「もういちど聴きたい」という気にさせるものではありませんでした。
それからはこの人のCDを買う意欲がいささか薄れ、シューマンのシンフォニックエチュードとか、リストのロ短調ソナタなどは聴いていません。
そのあとだったか、バッハのフーガの技法が出て、こればかりは無視して通ることができず再びエマールを買い始めることに。この演奏には賛否両論あるようですが、マロニエ君はとても好きな演奏で、もはや何度聴いたかわからないほどです。
近年ではドビュッシーのプレリュードなどをリリースしますが、個人的にはバッハを待ち望んでいたわけで、このたびその念願叶って平均律第一巻が発売されました。
エマールという人は、とりたてて分かり易い感性の切れ味とかセンスの良さ、あるいは目も醒めるような指さばきなど、いわば表層的な部分で聴かせる人でない点は徹底しています。
その演奏には、常に必要以上やりすぎない知的なバランス感覚とか、身についた節度みたいなものがあり、その中で内的密度を保って展開されていく音楽だと思います。瞬間的な表現やテクニックに心を奪われたり酔いしれるということはなく、そのぶん直接表現を控え、音楽をあくまでも抽象的なものとして普遍性を崩さぬようエマールの美意識による歯止めがかかっているように窺えます。
そのためか、エマールの演奏には、聴く者がそれぞれに解釈したり感じたりする余地がふんだんに残されており、これこそがこの人の魅力だとマロニエ君は思うところです。
そういう演奏なので、はじめに聴いたとき、いきなり衝撃を受けるとか、深い感銘へと引き込まれるということはさほどなく、繰り返し聴いて何かを感じ取ることがエマールの(すくなくともCDの)前提になっているように思うのです。
今回の平均律も、その例に漏れませんでした。
平均律ともなると、その演奏には名だたるピアニストの傑出した演奏に耳が慣れているものですが、はじめは固くて面白味のない、特徴のない演奏のように聞こえました。
しかし終わってみるとなんとも言い難い味というか風合いのようなものが残っており、「もういちど聴いてみようか…」という気になります。そして幾度もこれを繰り返すうちに、エマールの不思議な魅力に取り憑かれていくようです。
マロニエ君の感じるところでは、この人はどちらかというと人に聴かせるためというより、自分のためにピアノを弾いている感覚が伝わってきて、それが心地いいのかもと思います。
むろんこれだけコンサートピアニストとしてのキャリアを積んで、現在進行形で世界的に活躍している人ですから、まさか純粋に自分のために弾いている…などとウブなことを思っているわけではありません。
当然ながらコンサートでは聴衆の、CDではそれを買って聴くスピーカーの前のリスナーを意識しない筈はありませんが、それでも、この人の基本のところに身についたものとして、どうしても自分の満足や納得が先行してしまうという、いかにもプライヴェートな感覚があって、ピアニストの自宅練習室へ透明人間になって忍び込んだような面白さがあるのだと思います。