アブデル=ラハマン・エル=バシャによるバッハの平均律第二弾である『第2巻』が発売され、先に書いたエマールの『第1巻』と同時購入しました。
エル=バシャのバッハは前作『第1巻』での望外の快演にすっかり心躍ったものです。これはもう何度聴いたかわからないくらい気に入ってしまい、ほぼ似たような時期に発売されたポリーニのそれがすっかり色褪せて感じられたのとはいかにも対照的でした。
演奏そのものの素晴らしさに加えて、このときの録音にはベヒシュタインのD280が使われており、その音や響きにも併せて心地よい印象を覚えたものでした。
これに続いて第2巻が収録・発売されるものと思っていたところ、なかなかそうはならず、第1巻(2010年)から実に4年近く待たされたことになります。
はやる気持ちを抑えつつ、再生ボタンを押して最初に出てきた音はというと、正直「ん?」というもので、第1巻にあったような輝きがないことに耳を疑いました。
よく見ると前回とは収録に使われたホールも違えば、ピアノもD282に変わっています。
演奏そのものはエル=バシャらしい大人の落ち着きと余裕を感じるもので、やわらかな語り口の中にも確かな音楽の運びがあり、安心して聴けるものではあるけれども、強いて言うなら第1巻のほうがより集中力が強くて引き締まっていたようにも思います。
もちろん今回も素晴らしい演奏であることは確かですが…。
むしろ気になるのは今回の録音で、第1巻とはあまりにも録音の性格が違いすぎて、同じピアニスト/レーベルであるにもかかわらず、これでは「両巻が揃った」という収まりのよいイメージには繋がりにくいようにも思われました。
とくに気になるのは残響が多すぎて響きに節度感がなく、各声部の絡みやピアニストの繊細な表現の綾が聞き取りづらいのは大いに疑問だと言わざるを得ません。
録音の常識から云うと、これは到底ホールの違いのせいとは思えません。
また、使用ピアノも第1巻がベヒシュタインのD280だったのに対して、第2巻ではD282になっています。聞くところでは、ベヒシュタインのコンサートグランドはざっと2年前ぐらいにモデルチェンジをしているようで、D282ではよりパワーアップが図られている由です。
フレームの設計が違うようで、具体的には弦割りが変わったという話です。
CDを聴く限りではパワー云々の違いはわかりませんが、純粋に音として見れば、マロニエ君はあれこれのCDからの判断にはなりますが、D280のほうがずっと好みでした。
D280にはベヒシュタインの味わいを残しつつ、ほどよい洗練とスマートさがあり、現代的な輝きがありましたが、D282では再びそれを失ったという印象。
ピアノはパワーを求めすぎると、音が荒れるという側面があるのか、昔のベヒシュタインのような「ぼつん」とか「ぼわん」という音が耳につきます。あえて先祖帰りさせたというのなら目論見通りということになるのかもしれませんが、音にも時代感覚というものがあり、その点でどっちに行きたいのかよくわからないピアノになってしまった気がしました。
ベヒシュタインの発音を「あれはドイツ語の発声なんだ」という言う人もあり、確かにそうなのかもしれません。
でも普通に聴く限りでは、どちらかといえば無骨で、板っぽさを感じさせる、打楽器的な音にしか聞こえず、なんだか、やっと街の生活に慣れてきた人が、また田舎に帰って行ったようなイメージです。
音の個性を、渋みや落ち着きなどの味わいとみるか、野暮ったさとみるか、ここが聴く人の好みや美意識による分かれ目でしょう。
エル=バシャもどことなく気迫がない感じで、ラヴェル全集なども高評価のわりには温厚路線で、もともとこの人はそういうピアノを弾く人で、むしろ前作の第1巻のときがちょっと違っていたのかもしれませんし、あるいは録音のせいで活気が削がれて聞こえるのかもしれません。