長いデフレのトンネルから抜け出すのは容易なことではなく、安倍さんをリーダーとしてさまざまな努力がなされているのでしょうが、なかなか目に見えるような効果は出てきません。
経済評論家の言うことなどは半分も信じていないマロニエ君ですが、ときには「なるほど」と唸ってしまう発言があったりするものです。
デフレ脱却が難しい理由はさまざまでしょうが、そのひとつは、世の中の人間が「倹約の味を覚えた」からなのだそうで、これはある意味では贅沢の味以上に切り替えが難しいものだというのです。
いうなれば「倹約・節約」というパンドラの箱を開けてしまったと云えるのかもしれません。
本質的に人間は欲深でケチな生き物なのかもしれませんが、自分だけでは体裁や恥ずかしさ、さらにはいろんなかたちの欲が絡んでこれを断行するのはなかなか勇気がいるものです。着るものひとつにしても、あまり安物では恥ずかしいというような心理が働くでしょう。
しかし不況を機に世の中全体が節約ムードになり、みんながそっちを向いて、お店も何もが自虐的な低価格や無料といったものであふれかえると、それが当然のようになり、しだいに個々のケチも恥ではなくなり、いわば木を森に隠すようなものになる。
それが長期化すると、いつしかそれしか知らない世代まで育ってきます。
もうひとつは、女性の社会進出だそうです。
一般的に考えれば妻が専業主婦になるより、女性も働いて収入を増やすほうが消費も拡大するように考えがちですが、これがそうではないらしいのです。
ひとつは男性の平均的な収入が昔に較べて相対的に落ちていて、男だけの稼ぎでは一家を経済的に支えることが難しくなっていて、たしかにそんな印象があります。
それに加えて、そもそもでいうと消費の主役は女性なのだそうで、たしかに家や車といった大きな買い物をべつとすれば、その他の日常的な消費はほとんどが女性に委ねられていたというのも頷けます。
「夫が必死に働いて得たお金を、妻が平然と使う」というのが景気のよかった時代のスタイルです。
では、なぜ女性の社会進出が消費拡大に繋がらないのかというと、女性が自分でも働くことでお金を稼ぐことの大変さを身をもって経験するようになり、夫が稼いでくる時代のように無邪気な消費ができなくなったというのです。
昔の女性の消費は男性の稼いでくるお金に依存しており、その労働の辛苦にはあまり斟酌していなかったのかもしれませんが、今の女性は働いて報酬を得ることの厳しさをよく知っており、鷹揚な支出や買い物は激減したというのも納得でした。
たしかに、稼ぐ人と使う人が別でいられた時代のほうが、人々の心には単純な明るさがあって、消費にも勢いがあったのだろうと思います。高度成長の時代は、なんだかわからないけれどもみんな希望があり、給料も銀行振込ではなく、お札の入った月給袋を内ポケットに入れて帰宅し、それをそっくり奥さんに渡すというのがひとつの形でした。
現代とくらべて、社会学的にどちらがいいのかはわかりません。
ただ男女いずれも、低い賃金/不安定な雇用環境の中でせっせと仕事をせざるを得ない社会環境では、やはり消費が伸びないのも致し方のないことだろうと思います。