SKの使い道

ロシアのピアニスト、アンナ・マリコワによるスクリャービンのピアノソナタ全集を聴きました。

スクリャービンのソナタ全集は何種類か持っているものの、これという決定盤は思いつきません。名前もろくに思い出せないようなピアニストのものがいくつかある中で、ウゴルスキがようやく出てくる程度です。

ウゴルスキの演奏は見事ではあるけれど、どちらかというと重々しく芝居がかった朗読のようで、スクリャービンとピアニストの個性が合っているかにみえて、実はそうともいいきれないものがあり、こってりしたものをさらにこってり仕上げているようで、それほど好みでもありませんでした。

その点ではマリコワの演奏は、良い意味での現代的に整った演奏で、作曲家に充分な敬意を払いつつも必要以上の思い入れや表現を排した、客観性を優先した点が心地よく聞こえます。
作品が完成された音となって耳に届くのはありがたいというか、とりあえず快適であるし、ロシア人であるだけに、必要な厚みや熟考の後もあり、これといった演奏上の不満はありません。

非常に明晰かつ淀みなく流れるスクリャービンと言っていいと思います。

このCDでの聴き所はもうひとつあり、ドイツでの録音でありながら、ピアノはシゲルカワイEXが使用されている点でしょう。

驚いた事には、SK-EXとスクリャービンの意外な相性の良さで、これはまったく思いがけないことでした。
カワイの個性というのをひとことで云うのは難しいですが、少なくともコンサートグランドに関しては、ことごとくヤマハとは対照的だというのがマロニエ君の印象です。

誤解を恐れずにいうなら、ヤマハとカワイはそれぞれに日本的な暗さをもったピアノだと思います。これは、たんなる音の明暗ではなく、ピアノとしての性格や全体に漂う雰囲気です。
ただ、両者はその暗さの質がまったく異なります。

少なくともカワイはピアノ全体から流れてくるものが、朴訥で不器用、ある種の真面目さがあり、少なくとも洗練とかスタイリッシュといったものではないところに特徴があるように感じます。

このところ、プレトニョフをはじめとするロシアのピアニストの間でカワイの評価が高いのかどうか、はっきりしたことは知りませんが、カワイの持つどこか湿った感じの悲しげな響きが、ロシア人の感性にマッチするとしたら、これは大いに納得できることです。

それとヤマハと違う点は、カワイのほうがより演奏者にあたえられた表現の幅が広いという点で、ヤマハのほうがある程度の結果を規程してしまっている点が、演奏の可能性を狭めているように思います。

カワイが生まれもつ、どこかほの暗い雰囲気がスクリャービンとドンピシャリというわけで、これまでSK-EXがかなり高いところまで行きながら、あと一歩の決め手がないと感じてきましたが、ロシア音楽こそがその最良の着地ポイントであったとしたら、これはなかなかおもしろい事になってきたと思いました。

長年にわたってロシア御用達であるエストニアなどはもうひとつざらついていたり、ペトロフなどはあくまでも東欧であってロシア風とは似て非なるものを感じます。

その点でカワイ(とりわけSK-EX)は、ピアノとしての高いポテンシャルと完成度があり、日本製品としてのクオリティを持ちながらもキラキラ系で聴かせるピアノではない。さらに意外な懐の深さや逞しさもあり、ここにロシア方面からの注目が集まったとしてもなんら不思議はないと思いました。

現代のピアノは、やたら音の「明るさ」ばかりを重要なファクターであるかのよう強調されますが、何を弾いても職業的スマイルみたいな薄っぺらな笑顔ばかり見せるピアノより、渋いオトナの表現ができるピアノがあることは評価していい点だと思いました。

このCDで聴くスクリャービンには、スタインウェイでも、ヤマハでも、もちろんファツィオリでも聴く事のできない、カワイだからこそ結実した独特の雰囲気が漂っているとマロニエ君は感じます。

なんとなくカワイのピアノってロシア製の旅客機みたいで、ちゃらちゃらしない、質素な魅力があるのかもしれないと思いました。
和服でいうと結城や大島の紬みたいなものでしょうか。