ヤマハの木目

ピアノの木工・塗装の工房では、ちょっと不思議な話も聞けました。

工房のすぐ脇には、作業を待つヤマハの木目のグランドが置かれていましたが、見たところアメリカンウォールナット(たぶん)の半つや出し仕上げで、楽器店の依頼で化粧直しのため運び込まれたピアノのようでした。

「ヤマハのグランドで木目というのは、意外に少ないですよね…」というと、その方いわく、ヤマハの木目グランドというのは不思議なことに買った人がすぐに(数年で)手放してしまうのだそうで、すでに何台もそういうピアノを見てこられたようでした。

かねてよりマロニエ君の中では、ヤマハのグランドってどういうわけか木目がしっくりこないピアノだというイメージがあったので、この言葉を聞いた瞬間に何かしら符合めいたものを感じてしまいました。
黒よりも価格の高い木目仕様をあえて選ぶ方というのは、ピアノに対して単に音や機能だけでないもの、すなわち木目のえもいわれぬ風合いとか色調など、これらの醸し出す雰囲気へのこだわり、あるいは真っ黒いツヤツヤした大きな物体が部屋に鎮座することへの抵抗感など、さまざまな感性を経た結果の選択だと想像します。
そういう情緒的な要求に対してヤマハのグランドというのは何か少し違うような印象があったのです。

ヤマハのグランドといえば音大生とかピアノの先生、学校などが、訓練のための器具として使い切るためのピアノというイメージが強いのでしょうね。

こう書くとヤマハグランドのユーザーの方には叱られるかもしれませんが、そこにたたずむだけで何かしらの雰囲気が漂うとか、美しい音楽の予感とか、温かな心の拠りどころのようなものを連想させるキャラクターではないのかもしれません。せっかく買っても、わずか数年で多くの人が手放してしまうということは、実際に身近に置いてみて、予想と結果に何かしらの齟齬のようなものを感じてしまうからなのでしょうか…。

ふと、十数年以上も前のことで、すっかり忘れていたことを思い出しました。
当時、親しくしていたピアノの先生を車の助手席に乗せて走っていたときのこと、郊外にある当時としてはちょっとオシャレなレストランの前を通りかかると、その先生は「あ、ここ、ぼくが以前使っていたピアノが置いてある店だ。」と言いだしました。それによれば、以前ヤマハのウォールナットのグランドを持っていて、それを今のピアノに買い替えたというのです。

ところが、いきなり「木目ってよくないから…」と言い始めたのにはびっくりでした。
その理由というのが「木目ははじめは珍しさもあっていいんだけど、だんだん飽きてくる。あれはやめたほうがいい…」ということ。そして「やっぱり黒がいい!」というわけで、聞いていてひじょうに驚いたものの、あまりにも自信をもって断定的に言われたので、その空気に圧倒されて、その場では敢えて反論はしませんでしたが、これは当時かなりインパクトのある意見でした。

木目なんぞまるで邪道だといわんばかりで、ニュアンスとしては、だからピアノが主役じゃないレストランみたいな場所にはちょうどいいかもしれないが、本来はピアノは黒が正当な姿だと本心で思っているらしく、その感性にはただただ呆気にとられたものです。

メーカーの教室で多くの先生を統括する立場の先生でしたから、そのときはあたかもピアノの先生の代表的な意見のようにも感じてしまいましたが、むろんそれは彼固有のもので、木目のピアノを好まれる先生もおられることでしょう。しかし、きほんピアノの修行に明け暮れた人たちというのは、ピアノは愛情愛着をもって接する楽器というより、使って使って使い倒す道具という意識が強い方が多いのも確かなようです。こうなると実際に木目ピアノを所有しても、良さは感じないのでしょうね。

ただ、マロニエ君のイメージとしては、ヤマハのグランドはやっぱり黒で、どんなにガンガン使われても決してへこたれない逆境にも強いピアノという感じが一番です。なにしろタフで、そんな頼もしさが使い手/技術者いずれからも厚い信頼を得ている…そんな姿が一番似合うように思います。
そう考えると、木目の衣装を着こなすピアノではないというのも頷けます。