ブレンデル

1月のBSプレミアムシアターでは、昨年亡くなった名指揮者クラウディオ・アバドを追悼して、彼が晩年の演奏活動の拠点としたルツェルンのコンサートから、2005年に行われたコンサートの様子が放送されました。

ちょうど10年前の演奏会で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番とブルックナーの交響曲第7番。
ソリストはアルフレート・ブレンデル、オーケストラはルツェルン祝祭管弦楽団。

最近はいわゆる大物不在の時代となり、そこそこの演奏家の中から自分好みの人や演奏を探しては、ご贔屓リストに加えるというようなちょこまかした状況が続いていたためか、アバド/ブレンデルといった大スターの揃い踏みのようなステージは、昔はいくらでもあったのに、なんだかとても懐かしさがこみ上げてくるようでした。

演奏云々はともかく、こういう顔ぶれが普通に出てくる一昔前のコンサートというものは、妙な安心感と豪華さみたいなものがあって、そんなことひとつをとっても、世の中が年々きびしく、気の抜けない時代になってきていることを痛感させられます。

アバドの指揮は歳のせいか、昔のように作り込んだところが少なく、もっぱら友好的に団員との演奏を楽しんでいるように見えましたが、この人もその音楽作りのスタイル故か、それが老練な味になるというわけではなく、どこか中途半端な印象を覚えなくもありません。

ブレンデルのピアノはずいぶん久しぶりに接したように思いましたが、いまあらためて映像とともに聴いてみると、いろいろと思うところもありました。
ブレンデルといえば学者肌のピアニストで名を馳せ、ベートーヴェンやシューベルト、あるいはリストでみせた解釈とその演奏スタイルは、まるで研究室からステージへ直通廊下を作ったようで、テクニックで湧いていた20世紀最後の四半世紀のピアノ界へ新しい価値と道筋を作ったという点では、偉大な貢献をした人だと思います。
生のコンサートでも極力エンターテイメント性を排除し、作品を徹底して解明し解釈を施し、それを聴衆に向けて克明に再現するということを貫いた人でしょうが、それでも現在のさらに進んだ正確な譜読み(正しい音楽であるかどうかは別)をする次の世代に比べると、ブレンデルのピアノはまだそこにある種の人間臭さがあることが確認できましたが、それも今だからこそ感じることだろうと思います。

オーケストラから引き継ぐピアノの入りとか、各所でのトリルなどは一瞬早めに開始されるなど、いい意味で楽譜との微妙なズレが音楽を生きたものにしていることも特徴的でしたし、なにしろ確固たる自分の言葉を持っているところはさすがでした。

ただし冷静に見ると、これほどの名声を得たピアニストとしてはその技巧はかなり怪しい点も多く、この点はブレンデル氏が生涯うちに秘めて悩んでいたところかもしれません。もしかすると技巧が不十分であったことが、彼をあれほど音楽の研究へと駆り立て、それが結果として一つの世界を打ち立てる動機にもなったのかもしれないと思うと妙に納得がいくようでした。
人は自らの背負った負い目を克服する頑張りから、思いもよらないような結果を出すということも多分にあるわけで、彼の芸術家としてのエネルギーがそれだったとしても不思議はありません。

ブレンデルのピアノを聴いているといつも2つの相反する要素に消化不良を起こしていたあの感触が今回もやはり蘇ってきました。ディテールの語りではさすがと思わせるものが随所にあるのに、全体として演奏がコチコチで、音色の変化は無いに等しく、ピアニシモの陶酔もフォルテシモも迫りもないまま、長い胴体をまっすぐに立て、顔を左右に震わせて弾いているだけで、要するに全体として釈然としないものが残ります。
音も終始乾きぎみで潤いというものがないし、ピアノ自体をほとんど鳴らせないまま、この人はただただ思索と解釈、それに徹底した音楽の作法、すなわち音楽的マナーの良さで聴かせる人だったと思いました。

そもそもあれだけの長身で、背中など燕尾服ごしにも非常にたくましい骨格をしており、手もじゅうぶんに大きく、身体的には申し分のない条件を持っていますが、指先にはいつもテープを巻き、不自然なほど高い椅子に座り、どこか窮屈そうにピアノを引く姿、さらにはピアノが乾燥した肌のような音しか出さないのは、見ていて一種のストレスを感じるわけですが、これは彼の奏法がどこか間違っているような気がしてなりません。

非常に才能ある聡明な方に違いありませんが、ブレンデルは専らその頭脳と努力によって、あれだけの名声を打ち立てたのかもしれません。あっけなく引退したのも、もしかしたらそういう限界があったのだろうかとも思いました。

印象的なのは、見る者の心が和むようなエレガントなステージマナーで、こういう振る舞いのできる人は若手ではなかなかありませんね。