武者修行?

昨日はよく集るピアノの知人が会してしばらくピアノを弾き、そのあと食事に出かけました。
その席では、あれこれの話題が飛び交いますが、最も中心になったのは恋愛から結婚に関する話題でした。

友人知人で楽しむ話題の中でも、この手の話は最も愉快痛快なテーマのひとつだと思います。

なぜなら、そこにはそれぞれの経験に基づいた人生ドラマが色濃く投影されており、まあなんというか…ひとことで云えば爆笑の連続で、恋愛観を通じて相手の価値観や感性、ものの考え方に触れることができ、話はめくるめく展開を繰り返し、退屈するヒマなんてありません。

そのうちの一人は、既婚者ですが、様々な経験を通じて、多くの地雷を踏まされ傷つきボロボロになり、尚もそれを乗り越えて現在があるということを確固として自認されています。
その方によれば、お知り合いの彼女募集中の後輩男性にも深い憂慮と同情の念をお持ちで、まるで江戸時代の剣術指南役のような精神を持たれているようでした。
ところが、その後輩の方は免許皆伝には程遠いご様子…。

様々な出会いから交際を経て結婚に至る過程というものは、マロニエ君が考えているような怠惰で甘ったれのそれとはまったく異なり、ライオンが我が子を谷底に突き落とすほどに厳しい現実を勝ち抜くことであると滔々と述べられるさまは、なかなかどうして一聴に値するものでした。

まるで荒武者か僧侶の過酷な修行談を聞いているようで、忍耐と諦観、悟りの境地も必要らしく、聞いている側は驚きと笑いが尽きることなく、あっという間に閉店近くの時間に突入してしまいました。
マロニエ君などは根が不真面目でもあるし、男女の出会いなんてしょせん自然に発生し消滅するものとしか思っていない側からすれば、その気合と面目さ真剣さにはただただ感服つかまつるばかりでした。

当然ながらピアノも不屈の精神で非常によく練習されており感心させられますが、それにひきかえ、マロニエ君の練習嫌いなど論外とも言える堕落した精神そのもので、爆笑しつつも我が身の甘さを痛感させられました。

本来はもう少し具体的なことを書きたいけれど、そうもいかないのが残念なところです。


やや話は逸れますが、いつごろからか就活から転じた「婚活」という言葉もごくごく一般的となり、いらい何事にも◯活という言い方が流行ってきて、その流れを世間がやすやすと肯定し受け容れているのは個人的にはあまり歓迎はしません。
言葉というものは当然内容を伴いますから、現代はことほどさように何事も目的のために計画を練り、それに沿って我慢の精神で「活動」することが当たり前のようになってしまいました。

その極め付きは、自分が死ぬときまでありのままは否定され、きっちり計画準備した上でこの世からおさらばしろといわんばかりの「終活」で、実際にそういう動きまで出てきているというのですから驚くばかりです。
アナ雪の「ありのままで…」が流行った裏には、すべての事柄にありのままが許されないという実情が反映されているのかもしれません。

そうなるについては時代環境に裏打ちされた必然性があるものとは思いますが、そうはいっても、なんでもかんでも積極的といえば聞こえはいいけれども、要するにガツガツした活動を通じて「自分のぶん」をゲットしなくちゃいけないことをすべてに義務付けられている現代は、やっぱりどこか自然の摂理に背を向けた、いびつな空気が横溢しているようにも感じられます。