一石二鳥

たとえ運動嫌いの人間でも、適度に体を動かすことで心身が良い方向に整えられ、爽快感を得られることが実感できる瞬間は理屈抜きにいいものです。

とりたてて「これが私の健康管理法」というような大げさなことではありませんが、マロニエ君にとっての「それ」は洗車ということになっており、インドア派の怠け者にとっては、これが唯一の全身運動の機会といっても過言ではありません。

洗車といえば当然外での作業となり、寒さが身にしみる今の季節など、始める前はどうしても億劫になりがちなのですが、一旦始めてしまえばウソみたいに活力が出るのは自分でも不思議です。トレーナー等をちょっと重ね着をしただけで、極寒の夜でも「寒い」と感じたことはこれまでに一度たりとも無く、作業中はまるきり寒さのことなど頭から消えています。

日中に洗車することはまずありませんが、幸い自宅ガレージが屋根付きで照明があることもあって、やるときは決まって夕食後に始めます。着手するまではグズグズするくせに、始めるといつも時間を忘れるほど没頭し、細部まで際限なくやってしまいたくなります。
きっとこの時ばかりは普段の雑事やストレスからも開放される数少ない機会なのだと自分で思います。

以前、テレビで健康に関する何かの専門家(名前も顔も思い出せません)が言っていたことですが、中年からの運動というものは、やみくもに激しいことや為の為の運動をすることではなく、無理をせず効果的に行うことが肝要とのこと。
それによれば、健康のための運動はただ毎日何千歩あるくとか、機械的に体を動かすことの繰り返しでは期待するほどの効果は疑わしく、大事なのは、常に脳と身体の連携によってこれを行う必要があるのだそうで、それができた時が効果も著しいということでした。

これまで運動らしいことをしてこなかったような人が、ある程度の年齢に達して、病気をしたり健康志向に目覚めるなど何かのきっかけから一念発起し、突如、人が変わったように毎日1時間歩くとか、スポーツクラブに通うなどのケースも少なく無いようですが、その専門家によれば、そういうものは全てが無駄とは言わないまでも、それによるマイナス面も大きいことが多々あることを認識し、努々無理は禁物とのことでした。

さらにその人が言ったことは印象的でした。
スポーツが好きでこれを楽しむのは別のようですが、あくまでも健康を目的として行う運動であるのなら、家の内外の掃除は大変好ましいというもので、これは目からウロコの意見でした。

いわゆる運動はさして頭を使わず機械的かつ単調なものですが、掃除にはその手順とかやり方など、常に頭を使いながら作業をすることになり、これが先に述べた体と脳が連携して活動することになるのだとか。さらに掃除はそのつど工夫をしたり、やればやったぶんそこが綺麗になって、その結果が嬉しいとかスッキリしたりと、情緒面まで加勢してくるといいます。
またよほどの事でない限り、掃除なら身体にそれほど無茶な負担にもならず、それでいて動きは全身多元的で、ただ歩くのとちがって体のいろんな動きも必要となり、総合的に適度な運動という点でも好ましく、とにかく理想的なんだそうです。

だとすれば、掃除をしたところが綺麗になるという実利まで加わり、これはまさに一石二鳥です。
というわけでマロニエ君の場合の洗車は、自分なりの貴重な運動の機会でもあるし、心身のリフレッシュに大いに役立っていることは身をもって感じています。
その証拠に、洗車をスタートするときよりも終わったときのほうが心身ともに溌剌としているのが、はっきり実感できるのは毎度のことで、このときいつも運動の価値を痛感します。じゃあ、そんなに効果があるのならもっと頻繁にやればいいようなものですが、そこがそうならないところが、つくづく根がダメだなあと思うばかり。

掃除を、最も効果的かつ安全で、実用性まで兼ね備えた最高のフィットネスだと思えば、こんなにいいことはないと思います。

すくなくとも、いい年をして、似合わぬトレーニングウェア一式を着込んで、左右くの字に曲げた腕をわざとらしく振りながら夜な夜な独善的ウォーキングに専心するよりは、よっぽどいいじゃないかとマロニエ君は思っているわけです。