主なき文化施設

NHKのクラシック倶楽部を見ていると、まわりが田畑に囲まれた住む人も決して多くはなさそうな田園地帯に、ずいぶん立派なホールや複合文化施設が建てられていることに驚くことが少なくありません。

さすがに近年の節約ムードではそうもいかなくなったでしょうが、一昔前までは、こうした使われる当てもないような文化施設が税金を使ってこぞって建設されたことは間違いないのでしょう。不景気というのももういい加減イヤですが、しかしこういう無謀なお金の使い方がまかり通る時代も遭ったかと思うと、なんとも複雑な気分です。

文化振興という名目で、見上げるような立派な施設は出来ても、実際の稼働率は驚くべき低さだそうで、維持費の捻出さえ怪しくなっている施設が無数にあるのかと思うと、ため息が出るばかり。ホールを作れば当然ピアノも必要ということになり、まともに弾かれることもないようなスタインウェイなどが納入されるものの楽器庫の中で虚しい時間を過ごしているようです。

ある方から聞いたことですが、田舎のホールでは管理者側のピアノの維持管理に対する認識はまったくのゼロといっていいのだそうで、中には輸入元が定めた技術者が保守点検することもなく、近隣の楽器店がときおり調律をするだけという事例もあるようです。
こうなると楽器のコンディションは年々低下し、たまさかコンサートというときにはピアニストが弾くのを嫌がって、やむなく別のピアノを遠路はるばる運びこむなどという一幕もあるようで、こんな馬鹿な話はないでしょう。

ピアノは一流品があまりにも無慈悲に酷使されるのも痛々しいものがありますが、逆に弾かれることもなく、長い年月のほとんどを眠っているだけのピアノというのも物悲しいものです。
そのいっぽうでは、一部のメジャーなホールでは数年ごとに新品ピアノに入れ替え、ようやく旬を迎えつつあるようなスタインウェイが、リハーサル用などに下げ渡されていくというのですから、これもいい気持ちはしません。ピアノのわかるピアニストの中には、ステージ用よりリハーサル室のピアノのほうがよほど好ましいと漏らすこともある由で、世の中おかしなことだらけです。

さて、冒頭の話題に戻ると、こうした地方の田舎に突如建設された文化施設やホールでは、年に一度ぐらい文化事業をやっていますよという、税金を使った言い訳のためのイベントをやらなくちゃいけないのか、なぜこんな場所でこういうコンサートがあるのか、よくわからないような演奏会があるらしいことをクラシック倶楽部を見ていて感じることがときどきあるわけです。

もちろんマロニエ君はクラシックのコンサートが特別なものとは思いませんし、ましてやこれに来る人が高尚な人たちともまったく思いません。高尚どころか、ものによっては逆の場合も珍しいことではなく、ばかばかしいようなものも少なくはないのも現実です。

ただクラシック音楽というものが、一般的にだれもがすんなり馴染めて好まれるものかというと、そこにも一片の疑問は残ります。演奏の質や魅力はさておいても、やはり取り扱う作品そのものは本物の芸術作品ですから、普段まったくクラシックとご縁のない人がパッと聞いて直ちに興味を覚えたり素晴らしいと感じるかというと、そんな瞬間がゼロではないにしても、やはり一定の経験を積んで楽しむに至る下地が求められることも否定できません。

プログラムも問題で、TPOというものをまるで欠いた、聴く人のことを考慮しない専門性の高い作品を無遠慮に並べるとか、逆に聴衆をバカにしたようなベタベタな名曲集のようなものになるなど、開催する側、あるいは演奏者達のセンスにも大いなる疑問を感じます。
すべてがこんな調子なので、そんなコンサートが支持されるはずもなく、莫大な費用をかけた施設やピアノは、当初の目論見通りに文化貢献をしていると言えるものはどれぐらいあるのか…、ただ時が流れ、朽ち果てるのをまっているだけかもしれません。

喜んだのはそれに携わった当時の建設会社やお役人、楽器販売店などでしょうが、こんなことが可能だった頃が世の中も好景気だったのかと思うと、なんとも複雑な気分です。