引退か現役か

昔の大晦日はベルリン・フィルのジルベスターコンサートを生中継でやっていましたから、毎年これを見るのが習慣でしたが、いつごろからだったか、この番組はなくなってしまいました。
アルゲリッチ/アバドによるR.シュトラウスのブルレスケを初めて聴いて感激したのもこの大晦日(正確には元日)の夜中だったことなどが懐かしく思い出されます。

現在はおそらく有料チャンネルなどに移行したのだろうか?と思いつつ、マロニエ君宅にはそんなものはありませんから、いつしかこのコンサートは自分の前から遠のいてしまったようでした。

つい先日、2014年の大晦日に行われたラトル指揮の同コンサートの模様がNHKのプレミアムシアターで放送されましたが、その中から、メナヘム・プレスラーをソリストに迎えたモーツァルトのピアノ協奏曲第23番について。

メナヘム・プレスラーが半生をかけて演奏してきたのは有名なボザール・トリオであったことはいまさらいうまでもありません。
その素晴らしい達者な演奏は名トリオの名に恥じないもので、中でもピアノのプレスラー氏はこのトリオの立役者であり、その功績の大きさは大変なものです。彼なくしはこのトリオは間違いなく存在し得なかったものといって差し支えないでしょう。

50年以上の活動を続け、2008年にトリオは解散。その後のプレスラーは人生の晩年期にもかからわずソロピアニストとしての活動を始めます。近年でも思い出すのはサントリーの小ホールでのシューベルトのD960や、庄司紗矢香とのデュオなどですが、残念ながらマロニエ君はそれほどの味わいや魅力を感じるには至りませんでした。
ボザール・トリオの時代の自由闊達、円満で音楽そのものの意思によって進んで行くようなあの手腕はどこへ行ったのか思うばかりでした。

今回のモーツァルトのピアノ協奏曲では必要なテンポの保持さえも怪しくなっており、痛々しささえ感じてしまいました。あのエネルギッシュな快演を常とするベルリン・フィルも普段とは勝手が違っているようで、この老ピアニストの歩調に合わせようと努力しているのがわかります。

でも、音楽というのは、こうなるともういけません。
一気にテンションが落ちてしまいつつ、高齢の巨匠に敬意を払ってなんとか好意的に受け止めようとしますが、それは殆どの場合むなしい結果に終わります。とりわけ最盛期の活躍が華々しい人ほど、それが聴く人々の記憶にありますから、よりいっそう厳しい現実を突きつけられるようです。

すでに御歳90を超えておられるわけですから、個人としてみればもちろん信じ難いほどに大したものだと思います。しかし厳しいプロの音楽家として見れば、もはやこういう大きなステージでの演奏をやり遂げることは厳しいなぁと思わざるを得ません。

巷間「離婚には、結婚の数倍ものエネルギーが要る」といわれるように、プロ(しかも一流になればなるだけ)の引退はデビューよりも難しいものかもしれません。できれば、まだまだやれると誰もが思えるだけの余力を残した時期に、惜しまれながら引退することが望ましいように思いますが、最近はそんな引き際の美学も失われているような気がします。

ハイフェッツ、ワイセンベルク、最近ではブレンデルなどはきっちりと引退の線が引けた人ですが、マロニエ君の知る限り、最晩年に真の感銘を与えてくれた唯一の例外では、ミエスチラフ・ホルショフスキーただひとりです。
ただ、だれもがホルショフスキーのようにはいかないのが現実というものでしょう。