掃除は人柄?

よろず掃除というものは、大部分の人にとって進んでやろうとは思わない事だろうと思います。
稀に楽しくなって集中するというようなことはあるにせよ、できることならやりたくないというのが一般的でしょう。

それでも世の中には掃除が好きで生きがいのような方もおられる由で、掃除機も高価で高性能なものにこだわり、窓の桟の僅かなゴミも完全除去、トイレやシンクはギンギンに磨き上げ、水道の蛇口にはワックスがけまでする人もいるようですが、ま、そんな人は例外中の例外(と思います)。

TV のコマーシャルなども、やれ除菌だの消臭だのと、まるで世の中すべてが清潔できれいで、それが常識でしょ?と言わんばかりですが、さて実際の今どきの人の掃除嫌いのレベルというのは想像以上に深刻で、掃除嫌いのマロニエ君をもってしても閉口させられます。
とくに目につくのは女性のそれで、自分のビジュアルにはかなり気を使っても、掃除や整理整頓となると男顔負けの野放図で、生まれてこのかた掃除というものをしたことがないのではないか…と本気で思ってしまうケースがあまりにも多いことに愕然としてしまいます。

忙しく仕事をしている人間は掃除なんかしているヒマはないというのが一般的な言い分なのかもしれませんが、マロニエ君からみれば忙しいことをこれ幸いに口実としているだけで、端からその気がないことが見て取れるのです。
べつに本格的な清掃作業をやるわけでなし、ちょっとした心がけでできる事というのは実際にはたくさんあるわけで、本棚に積もったホコリをサッと備え付けのモップで払うとか、枯れた花は適当なタイミングで片付ける、出した道具は元の場所に片付けるといったことは、すべて心がけの問題です。

清掃会社が入っているような大きな会社はともかく、普通はちょっとした掃除や整理整頓を済ませてから何かをするというのは、それが勉強であれ仕事であれ、何かの製作であれ、料理をつくることであれ、すべてに共通した作法だと思います。
そもそもある程度きれいにした上でないと、いい仕事、質の高い作業はできません。
修業をするにも「雑巾がけから」というのは長らく日本人の心にあった基本姿勢だったような気がしますが、いまやそんなものはどこへやらという感じです。

外に向けて作り上げたもっともらしい姿とは裏腹に、一歩家に帰れば足の踏み場もないような乱雑不潔はけっして珍しいものではないのだそうで、なんでもが嘘っぱちに見えてしまいます。

そういえば最近は、個人の自宅にお邪魔するという機会もずいぶんなくなりました。
人と会うときは外で会い、自宅は「プライヴェート」とかなんとか言って、要するに他人を立ち入らせないエリアになり、それがさらに掃除をしない方向へと向かわせているのかもしれません。マロニエ君の目には、どんなに素敵な人でも、最低限度の掃除さえしないで平気でいられる人というのは、もうそれだけでだらしなく感じてしまいます。
これは決して封建的な感性でいっているのではなく、むろんそこには男女の区別もありませんが、だからたまに「普通に」掃除をしたり整理整頓する人を見ると、もうそれだけで一目置いてしまいます。こういうことはその人の品性や人柄など、心の在りように直結する部分だから、人格教養のもっともベーシックなことだと思うわけです。

掃除をしないのと対極にあるのが、一時期「断捨離」などという言葉が流行ったように、何でもかんでも物を捨てまくって、それで心を開放しリセットするというような考え方がありました。知り合いの奥さんに一人その手合いがいて、ご主人の話では郵便物から何から、あらゆるものを片っ端からズバズバ処分していくのだそうで、なるほど家の中はよけいなものが一切なくていやにスッキリしていました。
しかし、物事には程度というものがあり、スッキリも行き過ぎると、その雰囲気は寒々しい殺風景なものとなり、却って落ち着かない感じがしたのも事実で、きれいといえばきれいだけれど、なんだかニトリのカタログでも見ているようでした。

「ほどよさ」というバランスは、よほど難しいものなんだろうかと思います。