拾われた命

車にも運命というものがあります。

友人が古いメルセデス・ベンツのC240(W202)というのに乗っていましたが、勤めの関係などで普段ほとんど乗る機会がないという現在の生活パターンを考えた場合、それでも駐車場を借り、税金や任意保険を払いながら車を維持していくことにあまり意味がないのでは?という考えが濃厚となっている由のこのごろでした。

というのも今月で車検が切れるというタイミングでもあり、追い打ちをかけるように、数年間にわたる野外駐車が災いしてか、天井の内張りが落ちてきて、パッと目はわかりにくいものの触ってみると天井と内張りの間に空間ができています。これは内装屋できれいに張替えができますが約4万円ほどの修理費用がかかるとのこと。
車検費用に加えて内装の張替えなどが必要となり、ほとんど使わないものにそれだけの出費も負担に思えてきたようで、ここを節目についに手放す決心をするに至りました。

この車は1998年型で現在17年経過しており、新車から10年間は車庫保管され、その後は野外駐車となるも、走行距離は6万キロ台後半で、古いというだけで機関は至って快調で健康体の車です。

友人から廃車の手続きをしてくれる業者への連絡を頼まれたので、その手配をし、週明けには車を取りに来るばかりになっていましたが、そんなときになって「乗らないとはいえ、愛着もあり、どこも悪くない車を廃車(つまりはスクラップ)にするのは忍びないものがある」というような言葉を漏らしはじめました。

だったらもっと早く言えばいいのに!と思いましたが、悩んだ末の流れだったのでしょう。むろん気持ちは理解できるので、友人知人に「これこれのクルマがあり、車検はないが、車本体はタダでいいから乗ってみようという人はいないか?」と急ぎ何件か打診してみました。

その翌日、日曜だったこともあり、車関係の知人2人が問題のメルセデスを見てみようかということになり、マロニエ君宅に車もろとも集まることになりました。しばらく試運転などをしたところ、この時代のメルセデスならではの堅牢な作りとおっとりした身のこなし、ドイツ的な作り込みの良さからくる高品質感など、17年も経っているとは信じられないとその健在ぶりに、ストレートな感銘を受けたようでした。

この試乗でそのうちの一人の心はほぼ固まったのか、出てくる言葉はいつしかユーザー車検の段取りなどに及んでいます。

その後、オーナーである友人から書類と車の受け渡しへと話は正式にみ、めでたく新しいオーナーのもとでしばらく過ごすことになりました。17年という歳月の中でみると、翌日には廃車の手続きが始まる運命にあったこの車は、断崖絶壁ギリギリのところで再び車としての役目を与えられることになり、まずはなによりというところでした。

更に先週木曜には、新オーナーの手によってユーザー車検に一発合格し、重量税と自賠責の6万円ほどでともかく向こう2年間、天下の公道を走り続けることができるようになったようです。
マロニエ君も、長年身近に見てきた車が、とくに故障でもないのに鉄くずになってしまうのかと思うと、哀れなものを感じないわけではありませんでしたが、危ないところで拾われたこの車には、もしかしたら幸せの運が付いているようにも思います。

車やピアノのようなサイズと重量のあるモノは、たとえタダでも置き場の問題などがついてまわるために、相手にも受け入れる環境やタイミングというものが事を決する大きな要素となり、そのせいで泣く泣く処分されていくものも少なくないだろうと思うと、なんとも切ないものだと思いました。

知り合いの調律師さんの中には、ずいぶん小さな車で頻繁に高速での長距離往復をされる方がおられるので、高速走行を最も得意とするメルセデスこそうってつけではないかと話を向けたのですが、わずか数日前に「車検を取ったばかり」ということでこちらの手許に行く流れにはなりませんでした。

こういうことを考えると車やピアノって、つくづく「ご縁」なんだなぁと思わずにはいられません。