近頃はあちこちに古本店やリサイクルショップができているのが、やけに目につくようになりました。
古本店といっても昔の風情のあるそれとはずいぶん違います。
むかしあった古本屋は独特で、狭い店の奥には本にやたら詳しい店主がいて、そこに出入りするお客さんにも一種独特な趣があり、マロニエ君は決してこの雰囲気が嫌いではありませんでした。
とりわけ神田の古本街はさすがは東京と思えるだけの規模があり、古本というものが文化や学問のバックボーンとしても存在しているようなところがあって、新品では買えないような文学や美術の全集物、貴重な専門書なんかが紐で括られて魅力的な価格が付けられていたりすると、わかりもしないくせに心が躍ったものでした。
いっぽういまどきの古本店は、多くが郊外型のチェーン店で、マンガや雑誌や実用書などを中心とした品揃えで、ひとつの書籍が役目を終えて次の読み手を待っているといった気配はまったくなく、不要になった本の束を車に積んでゴミ同然のようにして売り買いされているようです。
驚くべきは、今どきの古本店には文庫本を別にすれば、きちんとした装丁の文学書や専門書などはほとんどないことです。美術書も同様で、重く大きく、置く場所も必要とする美術全集など、今や一般的には興味もニーズもないらしく、よほどの変わり者でなければ関心さえないものに成り果ててしまっていることが時勢として見て取れます。
稀にあってもウソのような安い値段がつけられていて、買い手のないものの哀れを感じずにはいられません。
マロニエ君は幼児体験もあってか、壁一面が本でびっしりというような環境が好きなので、とくに文学書などは全部読みもしないのに全集が欲しくなります。たしかに場所を取るのも事実で、いまどきの住宅事情や生活スタイルからすればこれらは大半が消滅していく運命だと思うと、なんともやるせない気分にさせられます。
何年か前、ネットで岩波の漱石全集を買いましたが、大きな段ボール箱2つにギチギチに詰め込まれた立派なものだったにもかかわらず、価格は1万円前後というものでした。ちゃっかり安く買っているのだから、つべこべ言う資格はないのですが、得をした気分と隣合わせに「なんたることか!」と憤慨したことがありました。
昔の古本屋には古本屋なりの文化の香りがあって結構好きでしたが、いまのそれはまったくの別物、リサイクルショップに至ってはさらに苦手です。人が使ったものだからということもないわけではないけれども、あれがもしガレージセールのようなものだったらさして抵抗はないと思いますが、毎日営業する店舗となると陰気でなんとなく気が進みません。
何度か覗いたことはありますが、いわゆる「掘り出し物」的なものはほとんどなく、システムの上できちんと整理され、価格も精査されつくしたもので、これだったら新品を安く買ったほうがよほどいいと思えるものが少なくない印象です。
周到に新品の最安値のさらにひとつふたつ下あたりを狙っているようで、中古品ということを考えると個人的には決して安いとは感じられないのです。
それに本であれ、リサイクルショップであれ、共通して苦手なのは、店内に入ったときの一種独特な臭いがプンと鼻につくことでしょうか。使われたモノ特有の、人の汗や脂や手垢が混然一体となった、犬の耳みたいなあの臭いにつつまれてしまうと理屈抜きに気持ちがめげてしまうのです。
一度など、友人がシリーズで探している本があるからというのでしぶしぶ付き合ったところ、帰り道、腕などがチクチクしてきて、これは間違いなくダニの類をおみやげにしてしまったようでした。
古いものを廃棄せず、大事に使いということは結構なことですが、世の中全体が慢性的な不景気におちいった象徴としてのリサイクルショップの乱立というのは、澱んだ時代そのものの証のようで、なかなか歓迎の気持ちにはなれそうにもありません。