インターネットでは、その膨大なユーザーを相手に、森羅万象の質問やアドバイスを求めることができるのは、いまさらいうまでもない現代の常識のひとつかもしれません。
「Yahoo知恵袋」などがその代表格でしょうが、みていると、ありとあらゆることが質問され、必ずと言っていいほどアンサーが寄せられて、中には一読しただけでも勉強になるような質の高い内容さえ見受けられるのは、多くの方が経験されていることでしょう。
しかもそれらは無料で無制限に利用でき、現代はよほど専門性特殊性の高いことでない限りは、パソコンのスイッチを入れキーボードを叩けば大抵の答えはそこからゲットできるようになっており、便利であるのはもちろんですが、どこかついていけない気にもなってしまいます。
もちろん、中には何の参考にもならないようなものもあれば、頭からふざけたような回答もあり、匿名性の高い世界ではこれは致し方のないこととしても、大真面目に熱心に寄せられた回答であるかかわらず、なんだこれは?と思うようなものがないわけでもありません。
ピアノに関するQ&Aはたまに覗くのですが、これからピアノを購入しようという人と、それに答える人たちのやりとりには、いろいろな現場事情や認識が見え隠れして唖然とするようなものも少なくなく、こんなところからも、世の中の人がピアノというものを概ねどのように捉えているかの一端を垣間見ることができます。
たとえば、子供にピアノを習わせるのに、将来いつまで続くかわからないことを前提に、いつどんなタイミングでどんなピアノを買っておけば損得両面において最もリスクが少ないかというようなもの。あるいは今勉強中の曲はこれこれと書いて、それぐらいだったらヤマハなら何を買うべきか、というようなものが多く見られます。
同様のものでもう少し具体的に書くと、ショパンのバラードやエチュードを弾くようになったら、あるいは受験にはやはりグランドじゃないとダメでしょうか?といった具合です。
さらに驚くのはアンサーのほうで、いかにも親切で誠実な調子の文章ではあるけれど、「私も音大受験を機に◯◯にしました」とか、「できればC3以上にしてください」「コンクールに出るなら、C7あたりか、予算が許せばスタインウェイ」など、練習する曲の難易度に比例してこれこれ以上のピアノであるべきといった内容が大手を振って並んでいます。
そこで取り交わされるやり取りを見ていると、不気味なほど音楽をやっている気配みたいなものがなく、体操の跳び箱の高さの話ばかりをしているようであるし、それに応じて使うべきピアノのメーカーやサイズまで決まっているかの如くの発言の数々には、おそらくこんなところだろうと予想はしていても、やっぱり具体的なやりとりを見ると、そのつど驚かされてしまうのです。
ショパンの何々、ベートーヴェンの何々、プロコ(この言い方が嫌い)の何々というのが、難易度の指針であるだけで、作曲家もしくは作品に対する冒涜のようでもあり、そうまでしてなんのために苦労の多い音楽なんてやろうとするのか、目指すところがまったく汲み取れません。
また購入にあたっては、いかにも説得力ある常識的意見として「ピアノの先生に相談してみるのが一番です」という意見は、一度ならず目にしたことがあります。素人があれこれと迷って楽器店のいいなりになるより、先生はピアノを長年弾いてこられたプロなのだから楽器のことも詳しい筈で、生徒の将来のことも考慮して選んでくださるだろうから、先生のアドバイスにしたがっていれば間違いないという主旨のものです。
それには、質問者の方も大抵は納得し、「それがベストですよね。ありがとうございました。」というような感じに話が収束してしまうのには、無知というものの喩えようもない虚しさを感じずにはいられません。
マロニエ君に言わせれば、ピアノの先生の多くはピアノのことなんてまったくご存知ない、むしろシロウト以下の人があまりにも多いという印象しかありません。中にはそうではない方も一部おられるかもしれませんが、それは例外中の例外であって、一般的平均的にはピアノの先生ほどピアノのことがわからない人たちも珍しいと思います。
音の善し悪しなどは、ピアノの先生のねじくれてしまった耳より、シロウトの方がよほど素直な感性をもっていて、何台か聴いていればその美醜優劣がまっとうに聞き分けられるのはまちがいありません。ピアノ技術者との雑談の中でも、先生の話が出るとみなさん決まって苦笑いになってしまいます。
それでもピアノ教師は、なまじ長年ピアノと係わってきただぶん「自分は専門家」という意識があり、だからピアノの見立てなどの相談にも臆せず応じてしまうようです。自分のピアノの良し悪しもわからないのに、それを自覚できておらず、人様のピアノ購入のアドバイスをするなんて無責任もいいところです。またそんな先生に自分の買うピアノを決められてしまうなんて、そんな無謀な話は考えただけでもゾッとしますが、これって結構あるんだろうなあと思います。
こうして、親、生徒、先生、楽器店といった本当に良いピアノを見極める能力や意志のない顔ぶれだけで事は決し、また一台無味乾燥で音楽性のかけらもないようなピアノが売れていくのでしょう。嗚呼…。