ハーンの完璧

Eテレのクラシック音楽館で、エサ=ベッカ・サロネン指揮、フィルハーモニア管弦楽団の来日公演から、ヒラリー・ハーンをソリストをつとめた、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴きました。

いうまでもなく、ハーンはアメリカ出身の現代を代表するヴァイオリニスト。
彼女を上手いと言わない人はまずいないはずで、デビューしたころの線の細い感じからすれば、ずいぶんオトナになって、風格もいろいろな表現力も身につけたことは確かなようです。
ただ、これだけの人に対して申し訳ないけれど、マロニエ君の好みからすると、どうしても相容れないところが払拭できません。

いつも書くことですが、始めの何章節を聴けば自分なりの印象の「何か」が定まります。
マロニエ君ごときが演奏の評価というような思い上がったことはするつもりもありませんし、また出来もしませんが、それでも自分の抱く感想というのは、開始早々に立ち上がってくるもので、それが途中で変化することはまずありません。

ハーンは世界的にも最高ランクのヴァイオリニストのひとりとして、揺るぎない地位を勝ち得ており、そこへ敢えて歯向かおうという気はないのですが、あまりにも現代の要求を満たした演奏で、音楽(もしくは演奏)を聴く上でのストレートな喜びがどうしても見い出せません。

うまいすごいりっぱだたいしたものだとは思うけれど、いつまで経ってもしらふのままで、一向に入り込めないというか、酔いたいのに酔えない苦しさのようなものから逃れられないといったらいいでしょうか。
またこれほど聞き慣れた曲であるにもかかわらず、なぜかむしろ作品との距離感を感じ、どこを聴いても威風ただようばかりで音楽的なうねりや起伏に乏しく、要するに感心はしながら退屈している自分に気づいてしまうのです。

今どきは、世界的な名声を得た演奏家であっても、すべからく好印象を維持しなくてはいけないのか、高評価につながる個別の要素も常に意識し、演奏キャリアと同時進行的にプロモーションの要素も積み上げていかなくてはならないのかもしれません。
自分々々ではなく、オーケストラなど共演者全体のことも常に念頭においていますという態度がいかにも今風。謙虚で、視野の広い、善意の教養人として振る舞うことにもかなり注意しているようで、それらがあまりにも揃いすぎるのは、却って不自然で、作られた印象となるのです。

ハーンの直接の演奏から感じるのは、あまりにも楽譜が前面に出た精度の高さ、演奏中いかなる場合もその点を疎かにはしていませんよという知的前提をくずさず、それでいて四角四面ではないことを示すための高揚感のようなものも見事につけられていて、必要なエレメントをクリアしています。

昔ならこれはすごい!と感嘆したはずですが、いろいろな情報や裏事情にも通じてしまった現代人には、市場調査と研究を経て開発された戦略的な人気商品のような手触りを感じてしまうのでしょうか。

どう弾けばどう評価されるかという事を知り尽くし、その通りに弾ける演奏家というか、どんな角度からチェックされても評価ポイントを稼げるよう、すべてをカバーするための完璧なスタイルに則った演奏…といえば言い過ぎかもしれませんが、でも、やっぱりそんな匂いがマロニエ君のねじれた鼻には臭ってきてしまいます。

耳の肥えた批評家や音楽愛好家は言うに及ばず、ヴァイオリンを弾く同業者からの評価も落とさぬよう、徹底的に推敲を重ねつくした演奏という気がして、そういう意味では感心してしまいました。
たぶん、マロニエ君のようなへそ曲がりでない限り、このハーンのような演奏をすれば、まず間違いなく大絶賛でしょうし実際そうでした。

喜怒哀楽のようなものさえ節度をもってきっちり表現するあたりは、いついかなる場合も決して本音を漏らすことのないよう訓練された、鉄壁のプロ根性をもつ政治家の演説でも聞かされているようでした。
もちろん素晴らしい音楽家の演奏がすべて純粋だなどと子どもじみたことを云うつもりはありません。生身の人間ですから、裏では狙いやらなにやらがうごめいていることももちろん承知です。いろんな欲得も多々働いていることでしょう。
…でも、その中に真実の瞬間もあると思うからこそ、せっせと耳を傾け、何かを得ようとしているようにも思います。

ただアメリカは根っからのショービジネスの総本山でもありますし、それに追い打ちを掛けるように時代も年々厳しいほうへと変わりましたから、その荒波を勝ち抜いてきた人はやはりタダモノではないのでしょうね。

自分の手が空いているときは、いちいち愛情深い眼差しで指揮者やオーケストラのあちこちに目配りするなど、そのあまりに行き届いた自意識と立ち居振る舞いを見ていると、マロニエ君のような性格はそんな芝居にまんまと乗せられてやるものかという、反発心みたいなものがつい刺激されてしまいます。
心底酔えないのは、やっぱり根底のところに何かが強く流れすぎているからだと個人的には思いました。

冒頭のサロネンとハーンのインタビュー(別々)でも、やたら相手を褒めまくりで却って不自然でしたし、お互いに「次に何をやろうとしているかがわかる」などと、さも一流の音楽家同士はそういう高度な次元で通じ合うものだといわんばかりですが、あれだけ冒険のないスタイルなら、だれだって次はどうなるかは見えて当たり前だろうとも思いました。

もうひとつ驚いたのは、ハーンが「ブラームスの協奏曲では、オーケストラはただの伴奏ではありません」みたいなことを言いましたが、そんなわかりきったことをいまさらいうほど日本の聴衆を低く見ているのかとも思って、おもわず腰の力が抜けました。
インタビューの答えも紋切り型で、独自の感性や考えに触れる面白さのようなものは皆無でした。

ただ、ハーンの名誉のために付け加えておけば、それでも本当に上手いことは間違いないし、アンコールで弾いたバッハの無伴奏は実に素晴らしいもので、このアンコールでだいぶ下降気味だったこちらの気分が、ちょっとだけ持ち直したのも確かでした。