疲れさせない…

前回、バケッティの演奏によるファツィオリの音の印象を書きましたが、それはあくまでマロニエ君の個人的な印象であることはいうまでもありません。

ネットでのCD購入にあたっては、複数のアイテムを選んだ場合、ひとつでも入荷が遅れると発送は見合わされ、一定期間を経過したときにだけ、入荷を待つか、キャンセルするか、既に入荷済みのものの見送るかなどを選択することになっています。

今回はさらに入荷待ちのCDがあり、それ以外のものをとりあえず発送するという選択をしたために、バケッティのゴルトベルクを含めて3つのCDが送られてきていたのですが、最も興味をそそられるバケッティから聴きはじめました。

音楽というものは不思議なもので、はじめの5分でおおよその演奏の判断はつくもので、それが後に覆ることはないということはしばしば書いてきましたが、もっと大きなくくりで云うなら、CDの場合、通して何度か聴いているうちに若干の修正があったり、多少の理解が深まるとか全容がつかめるというようなこともあるため、マロニエ君の場合、よほど気に入らないものでない限りは、とりあえず4〜5回は聴いてみることにしています。

それもあって、バケッティのゴルトベルクもとくに自分の好みではないことは認識した上で、とりあえず3回ほど聴いたところ、さすがに疲れてしまい、これを一旦お休みにして一緒に送られてきた別のCDに取り替えました。

セルゲイ・シェプキンの新譜で、バッハのフランス組曲(全曲)などが入った2枚組でした。
出だしから衝撃的だったのは、シェプキンのバッハ固有な清冽な演奏もさることながら、スタインウェイの生み出すトーンのなんと耳に心地よいことかと思える点で、やはりこのメーカーが世界の覇者となったのは必然であったことをまたも悟らされることになりました。

いまさらマロニエ君ごときがスタインウェイの音の特徴を言葉にしてみたところで意味があるとも思えませんし、そんなことはナンセンスだろうと思いますが、それでもあえて一言だけ言わせていただくなら、なにより直接的な違いは、とにかく「耳に優しい」ピアノだと断言できると思います。より正確にいえば「脳神経に優しい」というべきかもしれません。

この点については、まるで別物のように言われる同社のハンブルク製とニューヨーク製のいずれにもはっきりと通底していることで、声が多少違うだけで、同一のアーキテクチャから紡ぎだされるそのトーンは、無理がなく、どれだけ聴いても神経が疲れるということがありません。音が楽々と空気に乗って飛来してくるようです。
スタインウェイ以外にも素晴らしいピアノはいろいろありますが、いずれも長時間、あるいは繰り返し聴くと、疲れたり飽きてきたり不満点が見えてきたりすることは不可避で、いずれもどこかに不備や無理があるのだろうと思ってしまいます。

そういえば思い出しましたが、もうずいぶんと前のことですが、エリック・ハイドシェックの宇和島ライブというのが話題になり、当時としてはきわめて高い評価を得ていたCDがありました。
マロニエ君もそのCDはすべてではないにしても、何枚か持っていましたが、その良さが今一つよくわからずに集中して聴いてみたことがあったのですが、どうもよくわからないまますっかり疲れてしまったことがありました。
記憶が間違っていなければ(確認もせずに書いてしまっていますが)、このとき使われたピアノが日本製ピアノだったようですが、なんだか耳に負担のかかるような音の砲列に疲れたというのが率直な印象だったのです。

その結果、無性に別のCDが聴きたくなって、とりあえずなんでもいいという感じで、手っ取り早くCDの山の一番上にあったのが弓張美樹さんのペトラルカのソネットでした。無造作にそのCDをデッキに放り込みましたが、出てきた音を聴いた瞬間、サッと血の気が引くほどそこに流れ出したピアノの音にゾクッとしたことを鮮明に覚えています。

このピアノは関西のヴィンテージスタインウェイの専門店が所有する戦前のニューヨーク製で、マロニエ君は個人的にはどちらかというと好みのピアノではなかったのですが、疲れるほど日本製ピアノの音を聴き続けた末に接したこのピアノの音は、まさに気品と落ち着きと自然さにあふれていて、スタインウェイの根底に流れるなにか本質的なものを、ひとつ諒解できたような気がしたものです。

というわけで、マロニエ君の良いピアノの判断は、音やハーモニーなどの個別具体的な要素のほかに、長時間の鑑賞に耐えられるかどうかということもかなり重要なファクターだと思っています。どんなに素晴らしいとされるピアノでも、1時間やそこらで飽きたり疲れたりするようでは、マロニエ君としては真の一流品とは思えないのです。