ブレンデルの影

BSクラシック倶楽部で、キット・アームストロングという若いピアニストのリサイタルの様子が放映されました。

台湾系イギリス人だそうですが、人間には勘働きというのがあるようで、冒頭のインタビューの感じからして、直感的にこの人はマロニエ君の好みでないだろうことが伝わってきました。そして実際の演奏もある程度予想通りのものでした。

この人はブレンデルに師事しているのだそうですが、さもありなんという感じで、プログラムの構成や演奏家としての理念の示し方まで、師の影響がありありと出ており、実際の演奏にもそれは随所に見て取れました。
現在23歳とのことですが、実年齢よりはるかに幼く見え、まるで中学生が巨匠のような表情でピアノを弾いているようでした。

演奏中は、バッハでさえ、見ているこちらの頭がふらふらしてくるほど上体を揺らしまくりますが、聞こえてくる音楽には面白さというか興味をそそるものがマロニエ君には見当たりません。やたら抑制的、くわえて、ところどころに巨匠風の表現などが盛り込まれるあたりは、いかにもこの人の目指すところが透けて見えるようです。

演奏アプローチが思索的表現を前面に押し出そうとしているわりには、さほど知的な薫りが漂う風でもなく、単に理論統制型の良心的演奏をアピールしているだけに聞こえてしまうあたりは、却って音楽家としての謙虚さにかけているような気もしました。正論のようなものを誰彼なく得意気に弁じ立てる人こそ偏っているように…。

ネットで探したプロフィールによると、ブレンデルは「これまでに出会った最も偉大な才能の持ち主」と言い、「ロンドンの王立音楽院から音楽の学位を、パリ大学から数学の学位を授与されている。」などとありますが、そんな言葉を連ねるよりも、演奏によって聴く者を説得できるかどうかが演奏家たるものの本分ではないかという気もします。

バッハもリストも、マロニエ君にとっては楽しめるところのない演奏で、この人のどこがそんなに世界中の期待と話題をさらうほどのピアニストなのか、まるきりわかりませんでした。
メフィスト・ワルツでの両手のオクターブの跳躍など、まさにブレンデルのそれでした。

そもそもブレンデルが、マロニエ君はいまだによくわからないピアニストです。
演奏それ自体が、学問の講義を聞いているようで、こういうアプローチが流行った時期がたしかにありました。質素を旨とし、まるで抽斗の中を小ぎれいに整理整頓したような小料理屋みたいな演奏が、そんなに立派なことなのかと思ってしまいます。
最盛期には作品の最も深いところを探求する学究肌のピアニストとして、いつしか最高位の音楽家であるようにもてはやされ、ミシェル・ベロフに至っては「自分がほしいものは、ポリーニのテクニックとブレンデルの音楽性」などとコメントする始末でした。

マロニエ君はこの当時からあまり好きではなかったけれども、しっくりこないのは自分の理解が及ばぬ故だと思い込んだ一面もあり、この人のベートーヴェンのソナタ全集だけでも3種類ももっていることが、今思えばすっかり評判に乗せられてしまった証のようで我ながら恥ずかしくなってしまいます。
しかし、最後の全集の折は、全曲揃わなくなることを覚悟して途中下車したことは、せめてもの自分の意思表示だったように思います。

引退後のブレンデルは後進の指導にあたっているのか、何人ものピアニストを自分色に染め上げていることが、少々気にかかります。クーパー、ルイス、オズボーン、そしてこのアームストロング。いずれにも通底するブレンデルの影を、それがいかにも本物の上質なピアニストである証左のように美化されて見えてしまうのは、なにか得体のしれない危機感を覚えてしまいます。

いかにもウィグモアホールあたりの常連ですよという演奏ですが、今にして思えばちょっと時代遅れのようなスタイルになっているような気もします。

だからといって特にブレンデルを嫌いだというわけではありませんし、さすがだなと思うことももちろんあるのです。ただ、マロニエ君の目には、努力の人という程度で、現役時代の彼の名声はいささか過大だったように思えてならないのだと思います。