ウォールナットのD

前回のキット・アームストロングのリサイタルについては、途中からブレンデルに話が及んでしまい、もうひとつ大事なことを忘れていました。

なによりも珍しかったのは、実はピアニストではなくピアノのほうでした。
この演奏会では、浜離宮朝日ホール所有の艶消しウォールナット仕上げによるハンブルク・スタインウェイのDが使われていたのです。ここにそのピアノがあることは薄々知っていましたが、その全容をつぶさに見たことも、音を聴いたこともなかったので、その意味では思いがけず念願が叶ったというところです。

放送された当日だったようですが、たまたま友人と電話でしゃべっていると「今朝のクラシック倶楽部は、浜離宮の木目のピアノだった」と教えられ、一も二もなく見てみたものです。

期待に胸膨らませて再生ボタンを押したところ、なるほどウォールナットのDがステージに据えられています。
その結果はというと、ピアニストに続いてピアノのほうもマロニエ君の好みではなく、とくにピアノは期待が高かったぶんかなりがっかりしてしまいました。
日頃より、マロニエ君は木目のピアノに対しては、格別の魅力を感じているひとりです。現在手許にあるディアパソンも深い赤みを帯びたウォールナット仕上げである点も大いに気に入っている点ですが、そんな贔屓目で見ても、この木目のDは不思議なぐらいピンとこない印象でした。

やはり現代のコンサートグランドというのは、まずは黒であることが無難なんだろうかと考えさせられます。
とくに艶消しのウォールナットという外皮は、明るい木目があらわで、あえてピアノの外装の格式みたいなものでいうなら、ずいぶんくだけた装いなのかもしれません。
明るい木目でも、たとえばスタインウェイ社がピアノの素材構成を見せるために作った無塗装のシステムピアノのDなどは、ある意味とても洒落ているし垢抜けた印象さえあるのですが、このウォールナットはそれとも違い、木目なのに木目の明るさを感じない不思議な雰囲気でした。

家に置くピアノだったら、木目のピアノは文句なしに好ましく、黒はむしろ無粋だとも思いますが、ステージでは必ずしもそうとは限らないという事実をこのピアノのお陰でちょっとわかった気がしました。黒のほうがビジュアルとして遥かに収まりがいいし、ステージ用にはフォーマルであることも知らず知らずのうちに求められるのかもしれません。

それと、浜離宮朝日ホールのステージの場合、背後の壁も似たような色の木目調だったこともあり、ピアノが保護色のようになって茫洋とした印象をあたえるばかりで、ときおりステージの備品のように見えてしまうのは予想外でした。
また、Dはボディが大きいためか、木目であることが妙にナマナマしく不気味にも見えたことも正直なところでした。

楽器自体もずいぶん古いもののようで、このホールよりもずっと年長のようですから、きっと何らかの事情で中古として運び込まれたピアノなのでしょう。
マロニエ君はいつも書いている通り古いピアノは本来は大好きで、新しいものよりはるかにしっくりくる場合が多く、とくにコンサートで年季の入ったピアノが使用されることはむしろ望むところなのですが、このピアノの音はというと…どれだけ好意的に耳を澄ませても、残念ながら納得しかねる音でした。

スタインウェイのD型としてはもどかしいほど鳴らないピアノであることはテレビでもよくわかり、賞味期限切れのような貧しい音しか出ていないのは大いにがっかり。このホールには他に黒のDが2台あるようなので、このピアノはその外観と相まってフォルテピアノ的な位置づけなのでしょうか…。