アンデルジェフスキ

今年からN響の首席指揮者にパーヴォ・ヤルヴィが就任したのは驚くべきニュースでした。
あんな売れっ子をよくぞ連れてこられたものだと思いますが、お陰で、ひさびさにN響に喝が入ったように感じました。

たしかデビューコンサートのプログラムだったと思いますが、マーラーの巨人を振るのを聴いて、へーぇ…と思ってしまいました。
ブロムシュテットでも、デュトワでも、アシュケナージでも、ノリントンでも、与えられた仕事をそつなくこなすよう淡々と弾いていたN響。唯一、珍しく本気になっていると感じたのは、昨年だったか一昨年だったか、ザルツブルク音楽祭に出演したときだったけれど、日本に戻ると同時にパッションも元に戻ってしまったようでした。

そんなN響が、ヤルヴィを前にするとさすがに気持ちが引き締まるのか、あきらかにこれまでにない熱気のようなものが漂っているのが感じられ、これは面白いことになったと思いました。

すでにN響とのコンサートも異なるプログラムで数回おこなわれたようで、先日はR.シュトラウスとモーツァルトが放映されました。冒頭の「ドン・ファン」は見事な演奏で、サントリーホールのステージからこぼれ落ちんばかりのフルオーケストラから繰り出される豪華な響きと精緻なアンサンブルによって、この熱気に満ちた交響詩を演じきりました。

後半はメインである「英雄の生涯」が待ち受けますが、その谷間におかれたのがモーツァルトのピアノ協奏曲第25番でした。演奏前の説明にもあった通りモーツァルトの作品中、最もシンフォニックなピアノ協奏曲で、傑作第24番の悲劇的なハ短調と表裏をなすように、ハ長調の盛大なトゥッティで始まるあたりは、いかにもモーツァルトらしい変わり身で、悲しみに打ち沈んだあとはパッと明るく切り替える、対照的な同主調といえるかもしれません。

ソリストはピョートル・アンデルジェフスキで、マロニエ君はこの人のCDは何枚か持っているものの、巷ではそれなりに高い評価を受けているようではあるけれど、個人的には彼の演奏の目指すところがよくわからないまま理解が進みません。
モーツァルトの協奏曲は何枚かリリースされているようですが、シマノフスキやシューマン、カーネギーのライブなどのCDを聴く限りでは、この人のモーツァルトを聴いてみたいという意欲がわかず、手許にはまだ一枚もなしです。その意味でも、初めて彼のモーツァルトを聴けるという点でも楽しみと言うか…ともかく興味津々ではあったわけです。

しかし、危惧したとおり、何をどうしたいのか、まったくその表現意図がマロニエ君にはわかりかねる演奏でした。やはりこうなんだなぁ…という、当たり前のような印象。

この人は通り一遍のピアノを弾くことを良しとせず、いわば演奏を標準語で語らないのがこだわりなのか、一言でいえばやりたいようにやるのが彼の流儀のようです。その異色なスタンスからアンデルジェフスキこそはピアニストという枠を超えた真の表現者であり芸術家であるというふうに書かれた文章もいくつか読んだこともありますが、正直、聴こえてくる演奏に納得がいかず、マロニエ君には彼の演奏の真価がさっぱりわかりません。
この日の演奏を聴いて、その疑問は疑問のまま上書きれて終わりました。

だいいちに重くて鈍いです、モーツァルトには、あまりにも。
テンポも安定感を欠き、アーティキュレーションもデュナーミクもまったく予測もつかなければ、あとで腑に落ちてくることもなく、全編を通じて不明瞭感みたいなものがつきまとい、ほんとうにこれがこの人の本心なんだろうかと思いました。

音楽というものはいまさらいうまでもありませんが、自分とは感性や好みが違っていても、その人なりの音楽が言語となって語られ、収支のバランスがとれていて、一定の完成度があるものなら、それはそれでじゅうぶんに楽しめるものです。
べつにモーツァルトはこうあらねばならないというお堅いことをいう気はないし、いいものはどう型破りであってもいいと思うのですが、ロマン派ともなんともつかない恣意的な弾き方をすると音楽の型が崩れてしまい、聴いていてまったく乗っていけません。
自己流でも型破りでも、最終的になにかに支えられ、どこかに発見があり、けっきょく帳尻があっていなければ、それは個性だとは言えないような気がします。

ピアノの入りなども遅れが目立つところが散見され、わけてもモーツァルトの掛け合いにおいては、ひと息の遅れがその楽句の鮮度を残酷なほど落とし、意味や輝きが失われてしまいます。また、いわゆるミスタッチとは言えない音の飛びやつまづきが多々あったのも、彼の名声にはそぐわないたぐいのものだったことは意外でした。

どうも顔色もよくないようで体調でも悪いのか、はたまた御酒でも召されてステージにお出ましだろうかと思ってしまうような、何か訳ありのような気配が漂っていて、なんとなく気持ちのよいものではありませんでした。