ベーゼンドルファーの美

ネットでCDを注文する際は、本当に欲しいものがメインになるのは当然としても、せっかくなので「ついでにこれも」というようなものも一緒に購入することがよくあるものです。

『RUSSIAN PIANO RARITIES』という3枚組もそんな「ついで買い」のひとつで、輸入盤で、もう忘れましたがたぶん値段もずいぶん安かったと思います。ロシアの珍しいピアノ曲集というような意味かと思っていますが、確かなことはよくわかりません。

メトネル、スクリャービン、ショスタコーヴィチ、ラフマニノフという4人の作曲家によるソロ、もしくは2台ピアノのための作品などがごった煮のように入っており、ピアニストもいかにも二軍選手といった人たちが4人、ごく普通のしっかりした演奏という感じで、普通に曲を聴くにはちょうどいい塩梅といえなくもありません。

こういう掻き集め的なCDで面白いのは、演奏者、録音年月、使用ピアノがバラバラな点でしょうか。
ただし、どれもが新しい録音なので、極端に雰囲気の異なる音源が隣り合わせというような不都合はなく、録音も場所もちがう割には比較的違和感なくまとまっており、たまにはこういうCDも悪くはないなあというところでしょうか。

とくに思いがけなかったのは、ピアノの違いを楽しむことができる点でした。
使用ピアノなどの記載はないものの、多くがスタインウェイであることは音からも明白ですが、ラフマニノフに関してだけは2台ピアノもソロも、録音場所がベーゼンドルファー・ザールとなっており、そこに聴くピアノはまぎれもなくベーゼンドルファーであることは曲目からして非常に意外でした。

さらに意外だったのは、それがなかなかいい音だったのです。
このところの音質低下はベーゼンドルファーにまで及んだのか、このブランドにふさわしい音を聴くチャンスが少なくなったと感じていたところ、このCDで聴くそれは、ハッとするほど美しいものでした。
艶やかで柔らかいのにみずみずしい音で、ひさびさにこのメーカーのいい部分を堪能できた気がして、これはまさに思いがけない収穫でした。

しかも弾かれているのはラフマニノフですから、本来ならどう考えてもマッチングの良い取り合わせではない筈ですが、ほんとうに美しい音で鳴っているピアノというのは、それだけでもじゅうぶん魅力的で、作品との相性なんてそれほど気にならないのは実に不思議でした。

艶やかな弦楽器のような濁りのない音で、美しいものは理屈抜きに美しいということ、それを聴くことの驚きと喜びにストレートにわくわくさせられました。
こういう素晴らしい音があるかと思うと、インペリアルで録音されたCDなどには期待はずれなものが少なくないし、コンサートなどでもまったく納得しかねるような、どこか間延びした、不健康な感じの楽器があるのも率直な印象です。

最近で印象に残っているのは、アンドラーシュ・シフが東京オペラシティーで行ったメンデルスゾーンやシューマンによるリサイタルで、シフほどの名人の手にかかってもピアノの反応がいまいちで、引きこもったような不鮮明な音を出すばかりでした。
会場とピアニストはいずれも一流であることから、楽器も管理も悪かろうはずもないし、第一級の技術者がおられるに違いなく、それだけに近年のベーゼンドルファーとはこんなものかと思わざるをえませんでした。

マロニエ君はベーゼンドルファーのことは、あまり知りませんし、弾いた経験も多くはありません。
まろやかな音色のピアノがあるかと思うと、かなりエッジの立った際どい音であったりと、どれが「らしい」のかよくわかりませんが、共通して感じるのは、音量が比較的小さく、サロン的な音色の質や調子から、自ずと作品も選ぶピアノといったところでしょうか。

イメージとしては弱音域の美しさが際立っていることと、整音が非常にデリケートであるのか、スイートスポットが非常に狭いのか、好ましいコンディションを作り出し、維持するのが容易ではないのでは?というもの。
メリハリがないほど音が柔らかいかと思うと、少しでも硬すぎればチャンチャンしたやや下品な音になり、マロニエ君はいずれの音も好みませんが、ツボにはまった時のベーゼンドルファーの美音は、まるで熟れきった果実から極上の果汁がしたたり落ちるようで、なまめかしい純度の高い美音が撒き散らされ、聴く者を圧倒してしまうものがあるのも事実でしょう。

マロニエ君はアルコールはてんでダメで、ワインの良否などまるでわかりませんが、この道にうるさい人が最高級だ年代物だと興奮するのは、きっとこんな豊饒な音のようななものだろうか…などと想像を巡らせてしまいます。

残念な点は、そういう麗しい音のピアノが非常に少ないと感じる点でしょうか。