巨匠と若手

N響定期公演から、フェドセーエフの指揮によるロシアプログラムというのがNHK音楽館で放映され、ラフマニノフのヴォカリーズとピアノ協奏曲第2番、リムスキー=コルサコフのシエラザードが演奏されました。

始めに演奏されたヴォカリーズから、やや遅めのテンポが感じられ、ピアノ協奏曲になってもその印象は続きました。フェドセーエフも82歳だそうですから、やはり歳とともにテンポは遅くなるのだろうかと思います。
カラヤンもベームも、ルビンシュタインもアラウもそうであったように、晩年はテンポを落としたくなるものかもしれません。

ピアノはアンナ・ヴィニツカヤで、CDでは聴いていたものの、映像を見るのは初めてでした。
手許にあるCDは難曲で知られるプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番で、なかなかスタミナ感のある演奏だったこともあり、こういうロシア系のヘビーな作品を得意とするピアニストだろうという予測をしてしまいます。

曲の冒頭、凄まじくクレッシェンドしていく和音とオクターブによって幕が上がると、息つく間もなく、うねる波のように無数のアルペジョが押し寄せますが、情熱的に前進しようとするヴィニツカヤに対し、フェドセーエフは雄渾で恰幅の良い第1主題を描こうとしているようで、すでにこの時点からピアノとオーケストラは噛み合わず、しばしば行き違いが生まれました。

直接のテンポもさることながら、各所でのアーティキュレーションや呼吸感など、求める演奏の方向性の違いがあり、それが和解できないまま本番を迎えたという感じでしょうか。

フェドセーエフにすればソリストは同じロシア人、しかも孫のような歳の女性となれば遠慮なく自分が手綱を握り、それに異議なくついて来るはずというところだったのかもしれません。
少なくともソリストの意向を汲み取って尊重しようという気配は感じられませんでした。

30代前半のヴィニツカヤは、この名曲をロマンティックかつ情熱的に追い込んでいこうとするものの、フェドセーエフもN響も、まるでそんな彼女の意向を無視しているかのようで、なんとはなしにピアノが空転気味というか、どこか気の毒な感じにも見えました。

ヴィニツカヤはある意味で少し前のロシアスタイルというか、その美貌とほっそりした体型からは想像できないほどの豪腕ぶりで、すべての音をがっちり掴んで、力強く積み上げていくタイプのピアニストで、ラフマニノフの2番みたいな作品は結局こういう演奏が合っているようにも思えます。

マロニエ君の好みとは少し違いますが、これはこれで楽しめますし、実際の演奏会では、聴衆をそれなりに満足させることのできる人なんだろうと思いました。
むしろこんな曲を、中途半端に知的処理されて消化不良にさせられるよりは、よほど素直で好感がもてるというものでしょう。

そういう意味では、もうすこし彼女の意を汲んだ指揮であったなら、もっと充実したドラマティックな演奏になっていただろうと思われる反面、終始噛み合わないオーケストラに追従して、あれだけの難曲を弾いていくのは、気分が乗っていけないのに一定のテンションを保つのはさぞ大変だろうと、いささか同情的になりました。

そのせいかどうかはわかりませんが、第3楽章の佳境の部分でゾッとするような、あやうく事故に近いようなことが一瞬起こり、きわどいところで回避されたものの、思わず心臓が凍りつきそうになりました。
ピアノが出るべきところで出ずに空白が生じ、一瞬の間を置いてなんとか出たという、いわば重大インシデントといったところでしょうか。
やはりどんな腕達者であっても、ステージというのは何が起きるかわからないものですね。