何を楽しむか

マロニエ君の知人の中には、いわゆる「ピアノ好きな人」が何人かいらっしゃいますが、その中のおひとりは音楽そのものはもちろん、楽器、調律、ピアニスト、作品等々、ピアノにまつわる関心は当然のごとく多岐にわたっています。
自分が弾くことについては、むろん極めて大切な要素のひとつではある筈ですが、決してそれのみではないといった位置づけで、この点ではマロニエ君も同種であると認識しているところです。

しかし大多数の「ピアノ好き」といわれる人の多くは、名曲難曲を弾けるようになることだけが興味の中心で、それはほとんど欲望と呼んでもいいかもしれません。日々その練習や訓練だけにあけくれるのは、まるでアスレチックジムのトレーニングに近いものがあり、こうなるとピアノと向き合いつつ、そのメンタリティは体育会系だと言えそうです。
普通はピアノ好きであれば、優れた演奏家、無限ともいえる楽曲、銘器の音色や自分の楽器のコンディションなどにも興味が及ぶのが自然だと思うのですが、そういうことにはまるで無関心で、ひたすら自分が弾くことだけに興味を限定するのは、なんとも不思議で不自然な気がします。

テニスを好きな人が錦織選手のプレイに、体操が好きな人が内村選手の演技に興味も知識も無いまま、ひたすら自身の練習に打ち込むのみなんてあり得ないと思うのですが、ピアノの世界では、じっさいそれが普通なのです。

趣味のピアノ弾きの集まりに行っても、自分が今なにを練習しているといったこと以外に、一般的なピアノや音楽の話題が出ることはまずありませんし、古今のピアニストの話でもしようものなら、一気に座はシラケて発言者は空気の読めない音楽オタクとして位置づけられ浮いてしまうでしょう。
「ピアノ好き」を自認しながら、CDも数えるほどしかなく、コンサートにも興味がなく、古今の名だたるピアニストにもまるで疎いような人が、来る日も来る日もショパンやベートーヴェンの有名曲の練習だけにエネルギーを割くことは、考えてみれば却って難しいことのようにマロニエ君などは思うのです。

…つい前置きが長くなりましたが、冒頭のその方は音楽との関わり方もまったく独自のものがあり、いわゆる一般的なミーハー趣味とは厳然と区別される世界をお持ちです。
当然楽器にも強い関心があって、自宅には素晴らしいスタインウェイをお持ちですし、ピアニストにも好みがあり、さらには自分が興味のもてる作曲家や作品を慎重に選び出し、気持ちに沿わない作品はどんなに有名であっても見向きもされません。

たまに電話で話しますが、楽器のコンディションなどの近況や技術的なこと、ピアニストのことなどをしゃべっているうちにたちまち1時間ぐらい経ってしまいますが、話をしていて本当に音楽がお好きということが伝わってきます。
冒頭に書いた体育会系ピアノの人ではない、数少ないおひとりです。

最近では、マイナーな作曲家の埋もれた作品に感心を寄せられている由で、気に入った曲があるとネットで楽譜を取り寄せて自らも練習されているというのですから、ここまでくると、なかなか誰にでもできるようなことではないでしょう。

ここで大いに役に立っているのがYouTubeのようで、いまどきはどんなものでも、大抵はこのとてつもない動画サイトによって助けられることが少なくありません。音楽に限らず、あらゆるジャンルのあらゆる動画がここを開けば大抵は見聞きできるのは、便利という言葉ではとても足りない気がします。
ただし、いくら便利なYouTubeがあっても、とくにマイナーな作曲家や楽曲というのは、一定の評価を得ているわけでもないので、メジャーな作品よりも遥かに自分自身の感性を磨いておく必要があるだろうと思います。

マイナーな作曲家の埋もれた作品の中から好みの曲を探して練習するとは、YouTubeと連携することでそんな楽しみ方があるなんて思ってもみませんでした。かように趣味というものは、最終的には自分ひとりが通る道を見つけるときに、それはいよいよ純化されていくものという気がします。

その点でいうと、発表会や人前演奏を一元的に無意味だと断じるわけではありませんが、行き着くところ自分が目立ちたい願望の口実にピアノを使っている限り、趣味人としても三流以下だと思います。
素人がつまらぬピアノの腕前を披露(中には自慢)するなんぞ、趣味道にももとる音楽の悪用だと思うことがあるのですが、断じてそうは思わない人たちが主流である現実には、とても太刀打ちできません。

「日本には恥の文化がある」と言われることがありますが、ウーン…ことピアノに関しては適用外という気がします。