不遇の天才

前回の内容と関連して、マイナー作曲家で思い出すのが、ピアニストのマイケル(ミヒャエル)・ポンティで、彼ほど埋もれた無数の作品に実際の音を与えたピアニストもいないのではと思います。

ピアニストとして抜群の能力をもっていて、いちおうレコードになるランクのピアニストとしては、彼は昔から異色の存在でした。
というのも、昔は今のように誰もかもが指さえ回れば録音できるという時代ではなく、相応の実力と個性を備えた、選りすぐりの人たちだけしか録音するチャンスもなかったため、録音依頼があるということがよほどの実力者として認められていたと考えても差し支えないと思います。

ポンティのお陰で、私もLP時代からずいぶん埋もれた珍曲秘曲のたぐいを耳にすることができたわけで、モシェレスやモシュコフスキーの作品や、多くはもう名前も忘れてしまっているような作曲家の作品も少しは耳にすることができたという点で、マロニエ君にとってこのピアニストの果たしてくれた役割は大きかったことは間違いありません。

ポンティは非凡な才能の持ち主で、その演奏の特徴は、どんなに珍しいさらいたての曲であっても、まるで手に馴染んだ名曲のようにいきいきとした解釈と輝きをもって流麗に演奏できるところで、どの曲にも生々しい躍動がありました。
しかももったいぶらず、気さくに演奏するところに凄みすら感じていました。

そんなポンティの特別な天分にヴォックスというレコード制作会社が悪乗りしたのか、スクリャービンの全集(世界初)などにいたっては、劣悪な環境に缶詰にされ、そこにあるピアノを使って初見に近いような感じで録音させられたりしたと伝えられますが、その演奏はなかなか立派なもので、その眩しいばかりの才能には脱帽です。

ほかにはラフマニノフの全集や、マロニエ君は持っていませんがチャイコフスキーのピアノ曲全集も完成させたようです。

音楽の世界も商業主義は当たり前、今はその頂を通過して下り坂のクラシック不況という深刻な状況を迎え、メジャーな演奏家でも青息吐息です。オファーさえあれば、今やトップの演奏家が、どこへでも、どんな相手でも、自分を幾重にも曲げてスッ飛んでいくというのが悲しき実情のようにも思われます。

そんなご時世に、マニアックなピアニストや、それを許す市場や環境があるわけないでしょう。
強いていうなら、現代のこの分野ではアムランかもしれませんが、彼の場合は、自分の技巧というものがまずもって前面に出ているようにも思われ、しかも最近はメジャーな作品に取り組みだしているのは、やはり売れなきゃはじまらないという営業サイドの要望のようにも思えてしまいます。

現在、ポンティのような才能と指向をもったピアニストがいるのかどうかは知りませんが、どうせメジャーピアニストが名曲を弾いたってろくに売れないご時世なのですから、それを逆手に取って、埋もれた作品などの価値ある録音を増やして行くのも、名も無き優秀なピアニストにとって、ある種の開き直りの道ではないかと思います。
むろんそれでもやってみようというレコード会社あってのことですけれど。

ポンティの演奏はヴォックスから大量の録音が出ていて、マロニエ君はそれ以外は知らなかったのですが、ウィキペディアによれば、それ以外の録音もいくつかある由で、1982年には来日しておりカメラータ・トウキョウにも録音を残したことなどを知って驚きました。さらにはその録音時のコメントとして「これまではレコード会社の求めに応じて録音してきたが、これからは自分でお金を出してでも納得のいくレコードを作りたい」と言ったのだそうで、同情を誘う言葉でもありますが、本人は不本意だったとしても、お陰で偉大な録音が残されたことも事実だと思うのです。

ショックだったのは2000年に脳梗塞となり、右半身の自由を失っていることで、人間が身体の自由を失うことは誰においても悲劇であるのはいうまでもないけれど、わけてもポンティのような華麗な演奏を得意としたピアニストがそんな過酷な運命に遭うとは、なんと痛々しいことかと思いました。

ポンティはレコード会社から翻弄され、真の実力を世に問うことができなかった不遇の天才だったとも言えるでしょう。
あれこれの名前を挙げるまでもないほど、天才というものは、悲劇に付きまとわれることが少なくないようで、残忍な悪魔が近くをうろついているものなのかもしれません。