アメリカン

BSで、クリーヴランド管弦楽団のブラームス演奏会というのがありました。
指揮は音楽監督のフランツ・ウェルザー・メスト、ピアノはイェフム・ブロンフマン。

間にハイドンの主題による変奏曲と悲劇的序曲などを挟み、前後にピアノ協奏曲第1番と第2番を配するという驚くべきプログラムで、アメリカではこんなすごいプログラムをやるのかと思っていたら、数回に分散していた曲目を放送用に合わせたもののようでした。どうりで…と納得。

クリーヴランド、メスト、ブロンフマンとくれば、たしかに世界の一流プレイヤーなのでしょうが、なんとなく自分の趣味ではない気配で普段ならあまり近づかないところです。が、なにせブラームスのコンチェルトとあっては、つい誘惑に航しきれず見てしまうことに。

個人的にどうしても期待してしまうピアノ協奏曲第1番は、出だしからやはりというべきか好みではなく、ブロンフマンのピアノも面白みがまったくといっていいほどありません。
この一曲を聴いて、すっかり疲れてしまい、続きを聴く気も失せて、ひとまずその夜はここまで。

体質的か、感覚的か、アメリカのオーケストラがあまり好みではないマロニエ君にとって、クリーヴランド管弦楽団といえば長年ジョージ・セルが振っていたことぐらいで、何かを語れるほどよくは知りません。そういえば、内田光子の2度目のモーツァルトのピアノ協奏曲シリーズもクリーヴランドで、これがかなり高く評価されているようですが、マロニエ君はまったくそうは思えず、断固としてテイト指揮イギリス室内管弦楽団との初回全集を評価しています。

クリーヴランドはアメリカのオーケストラとしては「精緻なアンサンブル」で「最もヨーロッパ的」なんだそうですが、ふ~んという感じで、たとえばアメリカにあるヨーロッパ調の壮麗な建築のようで、それっぽいけど何かが違うという印象。

数日後、続きをどうするか、迷ったあげくとりあえず間を飛ばしてピアノ協奏曲第2番を見てみましたが、こちらのほうが第1番に比較すると格段に良かったのは意外でした。迷いが多く消極的だった第1番に対して、第2番ではカラッと晴れ上がったように爽快な演奏となり、ずっと弾きなれた感じもあり、少なくとも大してストレスもなく聴き進むことができました。

ブロンフマンというピアニストには以前からあまり興味が無いので、彼のレパートリーはどんなものかも知りませんが、少なくともブラームスの2つの協奏曲では、ずいぶん仕上がりに差があったという印象でした。
守りに徹した第1番とは対象的に、第2番ではピアノが前に出ていこうとする活力があり、それなりのノリの良さもあって、前回途中でやめて消去してしまわないでよかったと、とりあえず思いました。

ウェルザー・メストも有名なわりにどんな音楽を作るのかよく知らないままでしたが(むかし小泉首相に似ているなあと思ったぐらい)、この演奏を聴いた限りではオーストリアの音楽家とはイメージが結びつきません。音楽を紡ぎ出すというより、仕事でやっているという感じを受けてしまいます。

ブロンフマンは大曲をこなすスタミナはあるようですが、この人なりの表現というよりは規則通りの流暢な演奏処理をするだけという印象。演奏者の感性に触れるような面白味が感じられず、どこが聴きどころなんだかよくわかりません。思い起こせばディビッド・ジンマンの指揮でベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を入れたCDがありましたが、あれもただサラサラと弾かれていくだけで、せっかく買ったのにほとんど聴かずに終わりました。

オーケストラ、メスト、ブロンフマン、いずれも一流プレイヤーとして認められ、おそらく現在のアメリカで望みうる最高の組み合わせのうちのひとつだろうと思うと、それにしてはなにか心に残るものが感じられなかったのは残念でした。

ついでに言ってしまえばクリーヴランド管弦楽団の本拠地であるセヴェランス・ホールも、かなり大掛かりな改修を受けたのだそうで、ステージ側面から背後にかけての意匠など、わざとらしく遠近法を使ったオペラかバレエの舞台装置みたいで、あんな甘ったるい華美な装いはアメリカのセレヴ趣味を連想させられるだけで、マロニエ君はクラシック音楽のステージとしてはあまり好みではありません。

オペラで思い出しましたが、巨漢のブロンフマンはピアニストというよりどこかオペラ歌手のようでもあり、とくに最近少しお歳を召した感じが、まるでトスカを恐怖と絶望のどん底に落としいれるスカルピア男爵のようでした。
ま、そんなことは余談としても、アメリカのコンサートというのは、なんとなく雰囲気が違うなあという気がしないでもありません。実情は知りませんが、画面から受けた印象では、なんとなくその地域のお金持ちや名士の集まり的な感じというか、日本などのほうがよほど音楽そのものをサラリと聴きに来ているような空気があるようにも感じました。

ピアノはかなり新しいハンブルク・スタインウェイで、いわゆる今どきのこのピアノでした。
むかしはアメリカのステージではアメリカ製のスタインウェイが当たり前で、ハンブルクを使うことは滅多なことではなかったものですが、近ごろはカーネギー・ホールのステージでさえ普通の感じでハンブルクが使われていたりするところをみると、なにかこの会社の事情があるのかと勘ぐりたくなってしまいます。