便利の不便

最近の機械製品は、あまりに進化が著しく「便利も行くつく先は不便では?」と思ってしまうことがしばしばです。

テレビやエアコンの操作がリモコン化された頃なら、その単純な便利さに感激したものですが、最近はそのリモコンひとつとってもあまりに多機能で操作も複雑、普通に操作するだけでも勉強と慣れを要し、説明書にも「基本編」と「応用編」といった二段構えとなっていたりで、それだけで見るのもうんざりしたり…。

我が家ではただ単にものを温める脇役でしかない電子レンジでさえ、オーブンだなんだとあらゆる機能が盛り込まれていますが、そんなものはほとんど使ったこともありません。
ガスレンジも(安全性を考慮して)新しい器具に替えたはいいけれど、ここにもコンピュータ制御のいろんな機能があり、温度調整からタイマーやら何やら、ややこしいのなんの…ここでも一定の勉強と習熟が必要になっています。

それどころではないのが車です。
今年の春、久々に車を買ったところ、これがまたやたらと多機能で、普通は新しい車を買うとむやみに走り回ったりするものですが、今どきの車というのは、そんな心情を単純に受け容れてくれる相手ではないようで、ひと月以上は乗るたびに言い知れぬ疲れを覚え、いまだにある種の窮屈感があるのはまだ払拭できていません。

今回が初めてではないものの、個人的には、まずいわゆるギザギザした金属の「ふつうの鍵」がない車というのは、気持ちの上でどうもしっくりきません。
スマートエントリーとされるシステムで、鍵の代わりに黒くて重いかたまりみたいなものがあり、これをポケットなりカバンなりに入れておけば、施錠も解錠もキーレスでできるので、いちいちキーを出す必要がなく、両手が傘や荷物でふさがっているときなどは便利…ということになっているのですが、個人的にはこれがそれほど便利とも思えません。
むしろこのシステム固有の不便もあって、サイフひとつで済むようなときでも、スマートキーの入ったカバンや上着を必ず車から出し入れしなくてはならず、しかも通常のキーのようにエンジンのON/OFF時に手に触れるものでもないため、たえずその存在と在処を意識しておかなくてはならず、気が抜けずに疲れるのです。

車を降りてロックするにも、これまでのようにリモコンキーにあるボタンでカシャッとロックできればそれで充分だったのに、ドアを閉めて取っ手にちょっと触れることでロックされたり解除されたりするのですが、これにも一定のコツみたいなものがあって、取っ手を引っ張るとすかさず解除されドアが開くなど、自分のイメージとはちがった機能が作動したりと、何度もやり直しをするはめになるなど却って面倒で、これじゃあ何のための便利機能なのかと思います。

エンジンをかけるにも、キーを差し込む必要はなく丸いボタンを押すだけ。
しかもその際、フットブレーキを踏んだ状態でないと反応しないという「安全手順」が組み込まれていますが、こんなものは安全のとめというよりアメリカなどでの訴訟対策みたいなもので、操作を煩わしくするだけ。
AT車の場合、ギアがPにあれば絶対に車は動かないわけだから、これを条件としてエンジン始動できるという程度でじゅうぶんだと思います。

とくにマロニエ君は習慣的にエンジンを掛けるやすぐに動き出すということはせず、いつも必ず暖気をしてアイドリングが落ち着くまで待つので、その間に上着をとったりカバンや荷物を後ろの席に積み込むなどするのが自分なりのスタイルになっています。

そのため、これまではドアを開け、立ったままエンジンを掛けていたのですが、スマートエントリーではエンジンの始動ボタンは奥のセンターコンソール上にあって立ったままでは手が届かず、さらにブレーキを踏んだ状態でないとボタンを押してもエンジンはかからないので、やむなく規定通りに運転席に座ってブレーキを踏んでエンジンをかけることに。
しかし、セルモーターを回すというわずか一瞬のためだけにいったん運転席に座らされるのが、どうにもシステムの奴隷にされているようで釈然とせず、何が何でも外からエンジンをかけたいという、まことにつまらぬ意地みたいな衝動に駆られました。

その結果、編み出した方法は、しゃがんで上体のみ車内に入れて、右手でブレーキペダルを押しつけ、左手を伸ばして始動ボタンを押すといったアクロバットスタイルを取るとエンジンがかかることが判明。

いらい、自宅ガレージではこの甚だ不格好でばかばかしいスタイルが定着してしまいました。
さすがに出先ではやりませんけど…。
続く。