三つのヴァイオリン

クラシック倶楽部で堀米ゆず子のヴァイオリンを聴きました。
ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番と、バッハの無伴奏パルティータ第2番など。

昔から、この人は知名度のわりには「らしさ」がどこなのかがよくわからず、ただきちんと弾く人というイメージばかり先行していました。とりたてて独自の演奏表現だとか、ものすごい技巧というわけでもなく、なにもかもが中庸という感じで、むかしエリザベートコンクールで優勝したということが長らく一枚看板になっているという印象でした。

ブラームスはやはりそんな印象そのままで、悪くもないけれど、ここがすばらしいというポイントも見い出せない、今どきの有名演奏家ならこの程度は弾くだろう…という範囲に留まった気がしました。

ちゃんと準備をして弾いているのだろうけど、全体に四角四面な印象で、もう少し情の深さとかしなやかさがあればと個人的には思います。バッハでも基本的には同じ印象ですが、こちらのほうが一段とテンションが高いようで、そのぶん、聴き応えみたいなものは勝っていました。

このパルティータは最後にあの有名長大なシャコンヌを抱えており、演奏するのも並大抵ではないと思われますが、堀米さんはしゃにむに一気に弾いたという感じが残り、呼吸感がないのは本人はもとより聴く側も疲れるので非常に気になるところでした。
でもやっぱりバッハにはいまさらながら圧倒されてしまったのも事実です。


そのまま、先日の日曜夜中にやっていたBSプレミアムシアターをみると、佐渡裕がトーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督になったとかで、そのガラ・コンサートが野外コンサートとして行われた様子を早送りしながら見ました。

そもそもトーンキュンストラー管弦楽団なんて聞いたこともなく、佐渡さんの演奏もあまり好みではないので、そのあたりの事情はまったく知らなかったのですが、どうやらオーストリアのオーケストラのようでした。
ガラ・コンサートということで、あまりにベタな名曲集になるのは日本以上では?と思いつつ、ここにヴァイオリンのソリストとして登場したのがユリア・フィッシャーでした。サラサーテの「カルメン幻想曲」を聴いただけで、まったく苦手なタイプの演奏だとわかり、二度目の登場で弾く「序奏とタランテラ」まで見てみる意欲は失ってしまいました。

ここまでやるかという、これ見よがしの技巧露出のオンパレードで、いやしくも音楽の都であるウィーンを擁するこの国で、あんな演奏が受容されるのかとびっくりです。
ユリア・フィッシャーはヴァイオリンとピアノの両方が弾ける異才の持ち主として楽壇に出てきた女性で、マロニエ君も1枚だけCDを持っています。シューベルトのふたつの幻想曲、すなわちヴァイオリンとピアノのD934、ピアノ連弾のD940、いずれも大変な作品ですが、彼女はD934ではヴァイオリンを弾き、D940ではピアノを弾くといったことをやっています。

CDでは、よほどよそ行きの演奏だったのか、とくにどうということもない「あそう」というだけの演奏でしたが、まさかステージであんな演奏をする人とは思ってもみませんでした。破廉恥すれすれな衣装にもびっくり。


このまま終わっても気が滅入るだけなので、さらにクラシック倶楽部にもどって、かなり前の録画でほったらかしにしていた『長原幸太☓田村響 デュオ・リサイタル』を見てみることに。
…すると、これが思いがけなくおもしろい演奏でした。

曲はコルンゴルトの「から騒ぎ」、ミルシテインのパガニーニアーナ、ヤナーチェクのヴァイオリンソナタなど。

長原幸太氏のヴァイオリンは初めて聴くもので、必ずしもそのセンスに賛同するわけでもなく、やや才気走ったところなども見受けられましたが、いわゆる優等生的完璧を狙う人ではないようで、演奏している瞬間瞬間の反応だとか、沸き起こるような迫真力がある点は、思わず引きつけられてしまいました。

多くの場合、近ごろは演奏に対するスタンスもほぼ似通っており、先がどうなるかすぐ見えてしまうような安易なカタチだけの演奏が多い中、まったくそれがなく、現場での刺激やひらめきを積み上げていくタイプの演奏。今そこで弾かれて出てくる音そのものが音楽を作っていくという魅力、次がどう来るんだろうというワクワク感のようなものがあり、聴いていて少しも飽きませんでした。

なかでもヤナーチェクのソナタは久しぶりに聴いた気がしましたが、むしろまったく新鮮な印象で、こんなに面白い曲ということを気付かせてくれたということは…やっぱり「いい演奏」なんだと思います。
楽器もとても魅力的な音で、後でわかったことですがアマティだそうで、なるほどと納得してしまいました。