コンクールのピアノ

今年はチャイコフスキー・コンクールの開催年で、コンクール自体はすでに終了していますが、ネットで演奏動画を見ることができるとは、ありがたい時代になったものです。

むろん全部見るような時間も気力もなく、ちょこちょことかい摘んで見ただけですが、この手の動画と音声も年々精度がアップしているようで、2010年のショパン・コンクールなどに比べて格段の違いがあるように感じました。

カメラワークも巧みになり、鮮明な映像は容赦なくコンテスタントの至近距離へと迫り、指先の動き、吹き出す汗、果ては各人の肌質まで鮮明に見ることが出来るのは、ある意味で会場にいる人以上かもしれません。

音もよく捉えられており、個々のピアノの個性をつぶさに比較することができたのは、大いに収穫だったと思います。

ピアノはハンブルク・スタインウェイ、ヤマハ、カワイ、ファツィオリという最近のコンクールでは毎度お馴染みの4社。

実はこのような同一の条件下で代るがわるに聴いてみると、これまで抱いてきた印象も修正しなくてはならない部分が出てきたりして、自分なりにとても楽しく有益でした。

オープニングのガラ・コンサートで使われるピアノは、前回2011年の優勝者であるトリフォノフの意向によってファツィオリが使われたようですが、聞くところではスタインウェイ以外の3社は、コンクールのために選りすぐりの1台を最高の技術者とともに現地へ送り込んでくるらしいので、このようなメジャーコンクールのステージで鳴り響くピアノは(コンクール向きということはあるにせよ)基本的には各社の「最高」の音だと考えてもさほど間違いではないだろうと思われます。

ファツィオリに関しては自分なりにさらに理解が得られたといえば言葉が大げさですが、たとえばそのひとつは、このピアノは、そもそも美音は目指していないらしい…と思えること。
4台中、ファツィオリは最も音に馬力があるといえばそうかもしれないけれど、美しく澄んだ高級酒がグラスの中で揺らめくような音色ではなく、他社より粗っぽさが際立ちます。
このピアノは艶やかさ、格調高さ、清楚さといったものより、むしろ汗臭いぐらいのパンチが魅力なのかもしれません。

ファツィオリはイタリアという固定観念があるものだから、どうしてもあの国独特の美意識とか芸術の遺伝子のようなもの、すなわちイタリア的な要素を追い求めて聴こうとするのはマロニエ君だけではなかろうと思われます。しかし、それが却ってこのピアノを判りづらくしてきたのかもしれず、こうしてモスクワ音楽院のステージに置かれ、ロシア人によって奏されるその音を聴くと、豪快を旨とするスタミナ系ピアノだと考えると腑に落ちます。

これに対して、以前ファツィオリとヤマハはどこか通じるものがあるというような意味の印象を記した記憶がありますが、直接比較してみるとずいぶん違っていることにびっくりしました。
ひとつには、ヤマハの音の方向性が従来のものとはかなり変わってきているようでもあり、すでにCFXでさえ、出始めの頃のリリックなテノール歌手みたいな音ではなく、やたらと倍音が嵩んだ、むしろ輪郭に乏しい音になっていはしまいかと思います。
いろいろな味付けが過剰で、結果ミックスジュースみたいになってしまったのかもしれません。

それに較べるとカワイはずっとピアノらしさが残っているようで、まだしも正直なピアノだと思いました。…とはいうものの、あまりに洗練を欠いた音色で、いささか野暮ったく、もう少しどうにかならないものかと思ったことも事実。
それでも一点光るものとか、何か突き抜けた特徴があればいいのでしょうが、要するにカワイでなくてはならない積極的理由がなく、どうしても主役を張れない名脇役みたいなものでしょうか。

こうやって比べて聴いてみると、日頃は不満タラタラで、「もうだめだ」「終わった」と嘆息するばかりのスタインウェイが、やっぱり勝負の場になるとハッキリ優れている点は瞠目させられました。
まずなんといっても、その音は明らかに美しさと気品があり、メリハリがあって雄弁でした。弾かれた音が音楽として収束されていく様子は、やはりこのメーカーが長年一人勝ちをしてきたことが、けっして不当なことではなかったということを証明しているようでした。

以前のような他を寄せ付けない孤高のピアノではないにしても、相対的には依然として最高ブランドの地位を守っていることに、納得という言葉はあまり適当ではないとしても、でも、そういうことなんだという事実はわかった気がしました。

それを反映してか、はたまた別の理由なのか、真相はわかりませんが、今回はヤマハ、カワイ、ファツィオリの出番はずいぶんと少なかった感じでした。