ピアノは優等生

この夏の酷暑のせいで、人だけでなく、機械類まで不具合やトラブルが多発していることを前回書きました。

わけでも車は存外熱に弱く、暑さによって被る機械的ストレスは相当なものだと推察されます。
とりわけ熱害を受けるのは、プラスチックで出来たパーツだとか、ゴム系の素材で作られたホースやベルト関係で、日本の夏は車にとってもかなり過酷な使用環境であることは間違いありません。

車は一部の例外(100%趣味のための車)を除けば、通常は気候に関係なく、春夏秋冬全天候のもとで実用に供されなくてはならないという役目を生まれながらに持っていますが、現実はなかなか理想通りにはいかないようです。

だから完璧に実用品と割り切って、この点では図抜けた信頼性耐久性を誇る日本車に乗っていれば問題はないと思いますが、ここに少しでも感性を求めるとか趣味性を覚えてしまうと、多くの場合、輸入車や旧車など、つまり乗りっぱなしができない車が関心の対象になるわけです。
ヤマハ/カワイの新品より、ヴィンテージピアノに惹かれるようなものでしょう。

時代のせいで、輸入車といえども以前ほど虚弱体質ではなくなってきているのも事実ですが、それでも日本車にくらべればまだまだで、オーナーがボンネットなど一度も開けたこともなく、ただガソリンさえ入れていれば何事もなく走れるというところまでは到達していません。

輸入車でも、車検ごとに好みの新車に買い換えられるようなリッチな方ならあまり問題ないと思いますが、大半はそれなりの懐事情や各車へのこだわりなど、あれこれのいきさつから、手のかかる車を、手をかけながら乗り続けることになると、ここで悲喜劇が巻き起こり、精神的経済的にもかなりの出費や負担が否応なくのしかかります。

あまり比べてみたことはなかったのですが、あらためて考えてみると、クルマ趣味を経験した側から言わせてもらうと、同じ趣味でも、ピアノはなんだかんだいっても本当に手がかかりません。
手がかからないというのは、究極的には維持費がかからないということに言い換えてもいいかもしれません。

ピアノはどんなに細かい調整や整備をやってもらっても、しょせん車とは大変さの次元が違いますし、修理や整備にかかる料金もケタ違いに安いので、そういう意味でオーナーを翻弄しまくり、ときに地獄へ突き落としたりといった大迷惑をかけるとか、経済的苦境に陥れるということはまずないというのが実感です。
モノとしての寿命も次元が違い、長年の使用に耐え、経年変化も軽微。故障なんて無いに等しく、あってもたかが知れています。
よく中古ピアノで「1年間保証付き」などというものがありますが、ピアノで保証を適用するほどの深刻な故障なんてまず考えられませんが、中古車でそんな保証をした日には、場合によってはもう1台買うよりも高額な修理代なんてことはザラですから、売る側はとてもそんなことはしません。

というわけで、ピアノは近隣への騒音問題さえクリアできれば、これほど安全堅実な趣味もないというのがマロニエ君の意見です。せいぜい半年か年1回の調律や調整をやるだけでなんとかなるし、燃料も要らず、保険や税金もないわけで、考えてみたら夢みたいですね。

人間でいうなら、面倒などかけたこともない真面目な優等生と、いつも問題を起こしては騒動になる放蕩息子ぐらいの差があると思います。

でも、ピアノ趣味の人は意外にそのありがたさを知りません。
ピアノの人と話をしていると、わずかな調律代の差であるとか、少しこだわりのある人でも各調整や消耗品の交換と作業代にいくら掛かるかという問題には、かなり細かいシビアな心配をされ、いささか過剰では?と思うほど悩まれます。むろんそれはそれでわかるのですが、内心では「同じ好きなことでも、車の維持費・修理代にくらべたらアナタ、ものの数じゃありませんぜ!」とつい言いたくなってしまいます。

ピアノで最も大金を要するのはオーバーホールぐらいなものですが、それはよほどのことで、日本人のメンタリティからいうとそれぐらいするなら買い換えるほうに向かうようです。
買い換えるお金にはかなり寛大でも、修理や整備にかかる出費となると、一挙に財布の紐が固くなるというのが大方の日本人の感覚なのかもしれません。

日本にも、もう少し道具に対する修理や整備に対する価値観というか、いうなればモノと長く付き合う文化が根づいたら、精神的にももっと豊かになるような気がするのですが…。
京都の街並みの美しさは、ちょっと古くなったらすぐに壊して建て替えたほうが合理的というような、利便性とコスト優先の安直な発想からは決して生まれないものでしょう。